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第九十五話(はるか篇-4)

落ちつかなくちゃ。
我が身に言い聞かせながら肩で一つ深呼吸した。

急いで表情を作りなおして相手に顔を向けた。
少年がはにかんだような表情で自分を見上げていた。
それは彼が今まで一度も浮かべたことのない種類の笑みだった。

「そう。よかったわね」

慎重に言葉にしたつもりだったのに声が掠れた。
内心では彼が母親の帰宅を喜んでいるらしいことを訝ってもいた。
なるほど普通の子供ならば母親に会うことが嬉しいのは当たり前だ。
だけど、それじゃあ原田から聞いていた話と違う。
全然違う―。

「お母さん、どこでどうしていたの?」

思い余って訊いていた。
こんな年端も行かない相手から夫婦のことが何か聞き出せると思っていた訳ではなかった。
それでも尋ねずにはいられなかった。

少年が造作全部をくしゃくしゃに縮めて顔をしかめた。
一生懸命答えてくれようとしている気持ちがわかってなんだかいたたまれなくなった。

「んとね、お母さん、お父さんの失敗を取り返すのがとっても大変だったんだって」

まるで意味がわからなかった。
本当に真っ白になっていくような頭の片隅に、この子、こんなに長い文でもちゃんと喋れるんだ、と感心し、ほっとしている自分がいた。

すぐそばで甲高い声が上がった。
不服そうな叫びではあったが痛みや怒りを訴える種類のものではない。
それだけを急いで確かめて慌ててそちらに目をやると、園児の一人が完成間近だったお城のちょうど真ん中辺りに突っ込んでいた。
わざとなのかそうではないのかはわからなかったが、駆け寄って抱き起こした彼の顔は勝ち誇ったように笑っていた。

不満の声を上げる周囲の子供たちを宥めながら彼の砂を払ってあげた。
ふと見ると、智和君が女の子の一人に近寄ってスコップを貸してくれるようせがんでいた。
相手はまず戸惑いを浮かべこそしたが、すぐ笑顔に戻り自分の持っていたのを手渡すと、傍らの黄色いバケツから新たなもう一本を取り出していた。

作業がただちに再開された。
子供たちは何もなかったように新参者を受け入れている。
はるかがすっかり砂を払ってやると、転んだ少年も待ってましたとばかりに輪に復帰していった。
智和君以外のみんながみんなひそかにこの悪戯者を警戒しているのがはっきりと見て取れたが、そんな空気も少しも経たぬうちにすっかり和らいでいた。

だが彼らを眺めるはるかの顔にもう笑みは出てこなかった。
それきり園児たちに混ざることも止め敷居の縁に座って見守るだけにした。
それしかできなかった。

ともすれば目を開いているだけで実際は何も見ていないような状態になってしまう自分がいた。
そのたびに我が身をきつく叱咤した。
それでもやはり、小競り合い程度を仲裁しようという気力さえもう湧いてはこなかった。

やがて園児たちは少しずつ減っていった。
陽が傾き始める頃には全体で五六人が残っているだけになった。
中にはまだ智和君もいた。

さあ、もう子供たちまとめちゃうから、片岡さん戻っていいわよ、と声をかけてくれたのは飯島先生だった。
立ち上がって向きなおると朝と同じ眼鏡の奥で瞳が優しかった。
けれど思わず身構えてしまう自分をはるかはどうすることもできなかった。
さっきまですべり台のところにいた彼女は両手で一人ずつ園児の手を引いていた。
おう、原田君みんなと一緒なんだ。
気づいた飯島先生も驚きを隠そうとはしていない。
自分の名を呼ばれた智和君が顔を上げ屈託なく笑って寄越した。

「すごいねえ、えらいねえ」

ことさら大きな声でいいながら飯島先生が連れていた園児の手を離した。
二人がたちまち一緒になって砂場の中に飛び込んだ。
ズックが砂地にめり込む小さな音が重く響いた。
あんまり汚すんじゃないわよ、と声だけで子供たちを追いながら、彼女はそっとはるかに体を寄せわざとらしく眉を持ち上げてみせた。
耳を貸せということらしいとどうにか察し、膝を少しだけ屈めて相手の口元に顔を寄せた。

「やっぱ地元の実力者のとこの子だからさ、園長もあの子には気を使ってるのよ。
確かに口数少な過ぎるからね。
でもしょうがないよね。
ああいう年頃はやっぱりまだ母親と離すべきじゃないのよ」

それだけいうと彼女は体を戻し、それから二つ手をはたくと子供たちの注目を集めた。
小さな顔がいっせいにこちらを向いた。
瞬時、そんなことは決してないとわかっているのに、彼らの視線が全部自分に注がれたように思えた。
邪気のない眼差しは、まるでお前にはここにいる資格などないのだと自分を糾弾しているようだった。

もう大丈夫だから、また明日ね。
そういう飯島先生の声を遠くに聞いた。
頭を一つ下げて砂場に背を向けた。

はるか先生さようならぁ、と子供たちの唱和する声が追いかけてきた。
けれど中に智和君の声がはっきりと聞き取れて、振り向いて手を振り返すこともできなかった。

園舎に向けてのろのろと足を動かした。
日没に向かう太陽はそれでもまだ昼間と変わらぬ明るさだった。

けれどはるかには、このつかの間に辺りはまるですっかり夜になってしまったかのように思われた。
目に映る景色のすべてが陰影を失ってしまったかのようだった。

―あたし、何も知らない。原田のことも、智和君のことも。

片隅でそう繰り返しながら、今考えるべきなのはそのことじゃない気がしていた。
でも何を思えばいいのかがはるかにはまるでわからなかった。


[第九十四話(はるか篇-4)] [第九十六話(はるか篇-4)]

by takuyaasakura | 2008-04-30 12:57 | 第九十五話(はるか篇-4) | Comments(0)
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その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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