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第百話(まこと篇-4)

テレビだけが一人でしゃべり続けていた。
あまり趣味のよくないネクタイのキャスターがその日の主な項目が終わったことを告げ、放送は再びコマーシャルへと切り替わった。

「あたしがあんたくらいの頃にはもう一人ぼっちだったんだ。
ううん、それよりもずっと前からあたしは一人きりだった」

ぽつりと母が口にした。
視線は手の中のミカンに向けられたままだ。

「親なんてわからなくて、気がついた時には施設にいたんだよ。
それもろくでもないところでさ、たぶん元々は税金対策かなんかで始めた場所だったんだろうね。
とにかくあればいいっていうか、一事が万事いい加減だったよ。
でも子供にはそんなことわからないからね。
覚えているのはとにかく職員がころころ変わったことかな。
まともなやつが来た試しなんてなかったね。
食事も十分じゃなくてさ、いっつもお腹空かせてたもんだよ」

母は剥き終わった実を口に運ぶこともせず苛立たしげにまだ筋を取っていた。
ヒトデみたいに広がった皮の上に糸屑に似た白い繊維の切れ端が積まれていった。
いびつに絡み合った菌糸のような形が今にも自分から動き出しそうだった。

「どうすると思う? そういう時」

初めて聞く母の昔話に当惑しながら、わからない、と答えた。
耳に返った自分の声はひどくかすれていた。
母はだがちらりとまことを一瞥しただけでまた目線を自分の手元に戻すと、人差し指の爪でもうほとんど残っていないミカンの実の表面を軽く引っ掻くような動作を続けた。
仕方なくまこともただその様子を眺め続けた。

ようやく母の腕が動いた。
すっかりつるつるになった橙色の実の一房が一瞬で青味がかった紫色の唇の中に消えていった。
果実を飲み込む母の咽喉の動く音が耳元で大きく鳴った気もした。

「どうしてもお腹が減って眠れない時にはさ、新入りの若い男の職員つかまえて、パンツの中見せてやったり触らせてやったりするんだよ。
そうするとコッペパンの一個くらい簡単に手に入ったもんだ」

男なんてそんなもんだよ、と続けて嘯いた母はまた新しい一房を口に運んだ。
次の言葉はミカンを咀嚼しながらだった。

「あんただってあたしと一緒さ。
どう足掻いてもあんたはあたしの娘なんだ。
こんなあたしがくれてやったものの中で値段がつきそうなのはそこだけなんだよ」

コタツの中で母の脚が動いてまことの膝にぶつかってきた。
母がその一番奥にある場所を指していることは訊き返すまでもなかった。

「だからあんたも、あんな程度のことでびびるんじゃないよ」

背筋が一瞬ぞくりと震えた。
知ってるんだ。
あの男があたしに何をしようとしたか。
ちゃんとわかってるんだ。
それでもこの人はあいつに尻尾を振り続けるんだ。

気がつくとコタツの中で両手をきつく握り締めていた。
体が熱いのはもうコタツのせいではなかった。
全然違った。

奥歯が震え出しそうになっていた。
顔が勝手に持ち上がりじっと母を睨みつけていた。
そんなことするつもりもなかったのに止められなかった。
怒りと悲しみとが実はとてもよく似た感情であることを知ったのもこの時だった。

「なんだい、その目は」

ミカンを弄んでいた母の手が止まった。
だがこの時ばかりはまことも目を逸らさなかった。
逸らしたくなかった。
殴られてもかまわないと思っていた。

しばらくそのまま睨み合った。
だがそれも実際にはほんのわずかな時間だったに違いない。
結局先に顔を背けたのは母の方だった。

「あんたにはあたしがいただけありがたいと思いな」

「何がだよ」

思うより先に声が出た。
自分でも驚くほど低い音だった。

買物もゴミの片付けもあたしがやってる。
食べ残しを捨て食器を洗うのもあたしじゃないか。
いったいあんたが何をしてくれてるっていうんだ。
思いは今や破裂しそうに脳裏に渦巻き言葉にするのすらもどかしく、そのせいでかえってそこから先をすぐに続けることができなかった。

母が顎を伸ばしてだらしなくミカンを口に放り込んだ。
その仕草を黙って見つめた。
ニュース番組の女性アナウンサーの声だけがだらしなく温んだ部屋の空気を縫っていた。
系列局がこの渦中の人物への独占取材に成功しましたとかいった言葉が耳に入り辛うじて意味を為して行き過ぎて消えた。

「そのうちあたしがいなくなったらきっとあんたも思い知るよ」

テレビに目を戻しながら母が小声で吐き捨てた。
それでもなおまことは母を凝視したままでいた。
けれどその時だった。

不意に母の目が大きく見開いた。
口の中にはまだミカンが残っているのに顎を動かすことさえ止めている。
不思議に思ってまことも画面に目をやった。

「いやだからね、風評被害っていうんですか、私も困ってるんですよ」

ブラウン管の中では本人が特定できぬよう顔のモザイクのかかった男が、やはり同じ理由から機械を通してすっかり無機質に変換された音声でしゃべっていた。
一番下には飲食店経営者というテロップが妙に堅苦しく浮いていた。


[第九十九話(まこと篇-4)] [第百一話(まこと篇-4)]

by takuyaasakura | 2008-05-09 10:31 | 第百話(まこと篇-4) | Comments(1)
Commented by タイ at 2008-05-12 10:15 x
ブログ次回も楽しみにしています。!
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その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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