Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第九十一話(はるか篇-4)( 1 )

第九十一話(はるか篇-4)

まことが一緒に暮らすようになった日のことはよく覚えている。
それはとりもなおさず彼女の母親が家からいなくなってしまった日に当る。
もっとも、いったいその時何が起きていたのかをはるか自身が理解したのはずっと後になってからだった。

―その日彼女は殺人事件の容疑者として身柄を拘束された。

春先の日曜の午後だった。
昼食を終えたはるかは母と二人前庭にいた。
陽射しが心地よい日で、午前中に家事を終えた母は紫陽花の植え込みや花壇に水をやっていた。
はるかはその後を何をするでもなくついてまわっていた。

暇だからまことでも呼んでこようかなと考えた気もするけれど、何故だかそうはしなかった。
あるいは子供ごころにもうすでに、どこか異質な空気を隣家から感じ取っていたのかもしれなかった。
もちろんその時の気持ちなど今となってはまるで思い出せない。
少なくとも現実には何の徴候もなかったはずだった。

やがて湖の方からパトカーともう一台の車が登ってくるのが見えた。
パトカーはサイレンこそ鳴らしていなかったが例の赤いランプをゆっくりと回転させていた。
白と黒に塗り分けられた車体を目にすること自体が稀だったから、ほとんど徐行のような速度で近づいてくる自動車のそんな様子にはるかはなおさら好奇心をそそられていた。
傍らも母も気づいたらしく、ジョウロを傾けていた手が止まっていた。

二台目が家の前を通り過ぎた時、母が鋭く自分の名を呼んだ。
目は表に向けたままだった。
その先でちょうど車が縦に連なって路肩に止まるところだった。

「貴女はしばらく中にいなさい。窓もちゃんと全部閉めて。
お母さんがいいというまで絶対出てきちゃだめよ」

その時母が何をどう予感してそんなことを命じたのかはわからない。
盗み見た横顔がいつになく険しくて、はるかは一つ頷くと急いでいわれた通りにした。

一通り家中の窓を見回りこそしたが部屋でじっとしている気にはなれなかった。
結局玄関に戻りサンダルをつっかけて三和土に降りるとドアのそばに歩いた。
これならば言いつけを破ったことにはならないはずだと自分に言い訳しながらだった。

初めのうち表はしんと静かだった。
傘立ての奥の曇りガラスを透かして見ても動くものさえ見つからなかった。
それでもガラスに頬をはりつけ耳を澄ませてみると、わずかではあったが隣家に人の出入りする気配が確かに聞き取れた気もした。

そのうちなんだか後ろめたくなってきた。
はるかは耳を離しドアに背を向けるとそのままの格好で背中を預けてもたれかかった。
何をしているんだろうと思っていた。
自分が決して誉められるような行動をとっていないことが不意にのしかかってきた。

けれどその途端だった。
表で鋭い叫び声が起きた。
ドア一枚挟んでいてもはっきりとわかるほどだった。
声は母親を呼んでいた。
まことのものに違いなかった。

跳ね起きて振り返り思わずドアを開けそうになった。
けれど母の言葉を思い出し辛うじて思い止まった。
もう一度すりガラスを覗くと家の前は今やすっかり騒がしかった。
言い争うような声がしている。
言葉こそ聞き取れはしなかったが、おそらくは母とまことの母とが名にやら怒鳴り合っていた。

けれどはるかには母がそんなふうに声を荒らげる様など想像することは難しかった。
かつてそんな母は見たこともなかった。
教室で生徒を叱っていても母はつねに冷静だった。

ドアに手を当てたまま瞬時に全身が凍ってしまったようにも感じた。
咽喉だけが勝手に動き一つ息を飲み込んでいた。

「何をしてるんだ」

いきなり背中から声をかけられ自分でも驚くほど肩が震えた。
父の声だ。
慌てて向きなおるとはるかは急いで首を大きく左右に振った。

「ごめんなさい」

父の眉が怪訝そうに寄った。
奥の自室で仕事をしていた父は、おそらく用を足しにでも出てきて、そこで不自然に玄関に貼り付いている自分を見つけたのに違いなかった。

「母さんは外か? いったい何がどうしたんだ。
喧嘩みたいな声もしてるし」

表はまだ騒がしいままだった。
いつのまにからからに乾いてしまった咽喉をもう一度懸命に動かしてようやくはるかは返事した。

「お隣にパトカーがきたの。
母さんが、はるかは絶対出ちゃだめだって」

すると父はむっと言葉にならない音を出し、じゃあお前はこんなところにいちゃだめじゃないか、と硬い声で命じた。
まことのことが気にはなったが従わざるを得なかった。

それでも結局自室ではなく食堂に戻ることにした。
ドアをくぐる間際に少しだけ顔を戻して玄関をうかがうと、父はまだ同じ場所に立ってこちらを見つめていた。
慌てて体ごと頭を引っ込めた。
一瞬の間の後、玄関のドアが開いて閉まる音がした。

一旦はダイニングテーブルの自分の席に座ったがどうにも落ちつかなかった。
テレビをつける気にもなれず、思いついて窓際に歩いた。
窓を開けようとして母の言葉を思い出し止めた。
それでもカーテンを少しめくってみることだけは我慢できなかった。

音のない窓の外では穏やかな春の日が続いていた。
物干し竿の隙間に湖が覗いていた。
午後の陽光が湖面に照り返してさざなみのように閃いていた。

きれいだな、と思い、途端にそんなことを考えた自分を恥じた。
相応しくない気がしたからだ。
さっき耳にしたまことの悲鳴が胸にくっきりと甦り慌てて窓に背を向けた。
けれどそれきりそこから動けずにしばらくそのままじっとした。


[第九十話(はるか篇-4)] [第九十二話(はるか篇-4)]

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by takuyaasakura | 2008-04-23 12:15 | 第九十一話(はるか篇-4) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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