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カテゴリ:第百三話(まこと篇-4)( 1 )

第百三話(まこと篇-4)

小学校最後の三学期がどんなふうにして過ぎていったのかはもうほとんど記憶が定かではない。
これといった行事もなかったし、学年末のテストの結果なんてものはとっくにおぼろげだった。
クラスメートたちの名前さえ、はるか以外はもうきちんとフルネームでは出てこなくなってしまっている。

ただ卒業式に出てきた母の格好ばかりは忘れようがない。

ベージュや薄茶色といったツーピースのスーツが大勢を占める父母席に、母は一人だけ大きなサングラスをかけ肩には派手なスカーフを巻いて現れた。
スカーフは極彩色に塗りわけられた大小のペイズリー柄の合間を、こともあろうに舌を出した蛇が身をくねらせて這い回っているという悪趣味な絵柄だった。
一目見るだけで、一体誰がこんなものをデザインして商品化しようと思いついたのかと眉をひそめてしまうような代物で、服装も同じようなものだった。

体育館を占めた大人びた厳粛な空気の中で母一人だけがあからさまに浮いていた。
頬が火照ってたまらずにまことは式の間中ずっと顔を上げることもできずにいた。
気づくと手のひらがすっかり汗ばみ、もらったばかりの卒業証書にはうっすらと染みが移っていた。

春休みが始まってしばらくは例の制服と睨み合って過ごした。

はるかの母が幾度か丈を見てあげるから着ていらっしゃいと声をかけてくれたのだが、どうしてもそうする勇気が出なかった。
胸元のボタンが一つとれかけてもいたけれど、それも結局そのままにした。

―そしてその日、まだようやく夜が明けようかという早朝に玄関のチャイムが鳴った。

母はもちろんまこともまだ眠りを貪っている時刻だった。
チャイムは立て続けに鳴ることはせず、忘れた頃にまた思い出したように屋内に響きわたった。
おそらく五度目か六度目だったろうと思う。
ようやくまことはどうにか眠気を振りほどいて、こんな時間にいったい誰だろうといぶかりながらパジャマのままで廊下へと出た。
すえた匂いの染み付いた空気が思いのほか肌寒かったことを覚えている。

そのまま客間の前を過ぎかけた時だった。
開けたままの戸の奥にふと目をやると、案に相違して母もすでに目を覚まし体を起こしていた。
テレビこそつけてはいなかったが、いつもより心なしか背筋を伸ばし布団に座ってコタツの上に両手を組んでいた。
それでもまだ十分には覚め切っていないのか、目はぼんやりとどこでもない場所を見つめているようだった。

「母さん?」

声をかけると少しの間があって母の顔がこちらに向いた。
何かいいかけた母はだが結局黙ったままゆっくりと首を左右に振っただけだった。

その時また緩慢にドアチャイムが響いた。
母が顎を動かして出るようにと命じた。
やはり言葉はなかった。
頷きもせずにまことは玄関へと進んだ。

はい、と声を出しながら少しだけドアを開けると、表にはコート姿の男が二人立っていた。
どこかでこんな構図を見たことがある気がして、はるかの家での出来事だったと思い出した。
目を凝らすと男たちの顔にも見覚えがあるように思えた。
前に立った男が素早くまことを見下ろした。
固い笑顔の中央で二つの目だけが笑っていなかった。

「朝早くにごめんね。お母さん、いるかな」

口調に潜んだ冷たい響きに気圧されて首を縦に動かしていた。
そのわずかな間に男の靴先はドアの隙間にしっかりと入り込んでいた。
つま先からかすかな泥が落ちて三和土の汚れに加わっていた。

誰? と背後から母の声がした。
その途端男は、おじゃまするね、と抑揚のない音で重ねてまことの答えなど待つ素振りも見せずに玄関へと体を滑り込ませた。
後ろのもう一人がすぐ従って後ろ手に扉を閉めた。

「来生佳苗さんですね」

母の名をゆっくりと口にしながら前の男が胸ポケットから何かを覗かせた。
それだけで二人が何者なのか察しがついた。
あの時はるかのいった通りの仕草だった。

はっとして振り向くと母は右腕を持ち上げて気怠そうに髪を掻き上げていた。
母が肯定も否定もせずに横を向いているうち男が再び言葉を継いだ。

「娘さんには、ちょっと外していただいた方が―」

「いいわよ、そんなの」

男の台詞を遮って母が口にした。
憮然とした口調だった。
どうしていいかわからずまことはただ大人たちの顔を見比べていた。

「よろしいのですか」

もう一度前の男が念を押した。
いいっていったでしょう、と母が静かに吐き捨てた。
そうですか、と頷いた男の咽喉がまたゆっくりと一つ動いた。

「では用件を申し上げます。
昨年夏にお亡くなりになった安原和彦さんの件でお話を伺いたい。
ついては署まで御同行願えますか」

男がそれだけいい終えると場には短い沈黙が降りた。
母が鼻から深く息を吐き、それから一瞬だけ軽く目を閉じた。


[第百二話(まこと篇-4)] [第百四話(まこと篇-4)]

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by takuyaasakura | 2008-05-14 14:32 | 第百三話(まこと篇-4) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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