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カテゴリ:第百二十三話(はるか篇-5)( 1 )

第百二十三話(はるか篇-5)

その夜は父も一緒に四人で食卓を囲んでいた。
まことがその輪にいることにも、そしてそのまま同じ部屋に帰って一緒に眠ることにも、もうはるか自身すっかり慣れきっていた頃のことだった。

当時の自分には、みんなが揃っている時に率先して口を開くのは自分の役割みたいに思っていたところがあった。
一つ屋根に暮らしているとはいえやはりどうしても父とまこととはどこかぎこちなかったし、そもそもまことの口数は家へ来て以来まるで変わらず、とりわけ両親の前ではいつになっても少ないままだった。
だがほとんど毎日のことであれば相応しい話題を探すのに結構な苦労をさせられた。
クラスメイトの他愛ない発言や、でなければ哲平の野球部の戦績を話すことが多かったようにも覚えている。

高校に入ってから投手として頭角を現していた哲平は、三年に進む頃には県大会への進出も夢ではないとまでいわれるほどになっていた。
社会人チームからの誘いもあるとかないとかで、そんな話題には父も一緒になって盛り上ってくれることがしばしばだった。
ただこの夜はちょうどはるかたちの中間試験の最終日が終わったところだった。
いただきますと全員で声を揃えた後、はるかはとりあえずその日に出た国語の問題のことを口にしてみた。
それならば同じテストを受けたまことはもちろん、両親にも面白く話に乗ってもらえそうに思えたからだった。

問題文には漱石の『草枕』が引用されていた。
姿の見えない雲雀の声を聞きながら、彼らがどこまでも高く昇ってついにはそのまま息絶えてしまい、ただ声だけが空の中に残されているに違いないなんて、そんなちょっとロマンティックな主人公の想像が描かれている場面だったと思う。
一頻り設問の話が終わったところで、ところでこの小説、誰かちゃんと全部読んだことある? とはるかが訊き、まことが横に、両親がそれぞれ縦に首を振った。
でもいったい幾つの時だったかしらね、と話題を引き取った母が、それから父にむきなおり中学の教科書から漱石が消えてしまったことを憤慨してみせた。
父も、彼らはあまり現場を知らないからねと苦笑しながら頷いていた。
上手く話が転がってくれたことにほっと胸を撫で下ろしながらはるかはそんな二人を見ていた。

「漱石といえば、昔こんな話を聞いたことがある」

めずらしく父が切り出した。
はるかはもちろんまことも顔を上げてそちらに向いた。娘二人の視線を浴びた父がこほりと一つ咳を払った。

「漱石が東京の大学で英語を教えていた時のことだそうだ。
学生の一人に『アイ・ラヴ・ユー』をどう訳せばいいかと聞かれ、彼は、月がきれいですねとでも訳しておけばいいでしょうと答えたらしい」

はるかは目を丸くし、それから隣のまことと顔を見合わせた。
相手も同じようにきょとんとした表情をしていた。

「どうして? 全然意味わかんないよ。
もし英語のテストでそんなこと書いたら絶対バツもらっちゃうと思うけど」

はるかが少し当惑しながらそういうと、ところが母が、あら、あたしだったらまるつけるわよと鼻を膨らませた。
お母さん小学校なんだから英語の採点なんてしないじゃない、とまぜかえしたはるかに、そういうことじゃないのよ、と母が笑った。

「いや、でもさすがにこの場合は点数をやる訳にはいかないんじゃないのか」

父が真面目な顔で箸を持ったまま腕を組んだ。
すると母がすぐ、まあそもそも『アイ・ラヴ・ユー』を和訳しろなんて問題を出す先生がいそうにないわよね、と相槌を打った。
なんだかちょっとだけ手のひらを返されたみたいな気持ちがした。

「でも、それってどういうことなんですか」

割って入って尋ねたのはまことだった。
もう少し説明が欲しくてはるかも首を動かして同意した。
父が笑いながら腕を解いた。

「要は漱石の生きていた時代には、私はあなたを愛していますなんて文章は日本語ではなかったんだということだね。
惚れるとか慕うとか、使うとしてもそういう言葉で済んでいたんだろう。
だから、愛しているという言葉を散文で用いることを、すでに自身でも小説を書いていただろう漱石はよしとはできなかったんだな。

もっとも、そういう惚れるとか慕うといった言葉でさえ、奥ゆかしい我々日本人は当時から滅多に口にしなかったに違いないだろうけどね。
今も昔もそれはおそらく変わらないのだろう。
まあそれにしても咄嗟に月とは、常人にはとても思いも及ばない発想だねえ」

父はそこで手を合わせごちそうさまと呟くと、まだ少し仕事があると自室に戻っていってしまった。
みんなはゆっくり食べなさいと笑った父を見送った母が、その一瞬ほんのわずかに淋しそうな顔を浮かべたように見えたことを不思議にはっきりと覚えている。
女ばかりになった食卓でしばらくは会話もなくそれぞれに箸を運んだ。
なんだか三人が三人ともそれぞれの出方を手探りしているような、ちょっとざらついた空気があるようだった。
少なくともまことは明らかに、自分の目がそちらを向きそうになるたびに慌てて視線を逸らしていたようにも思われた。


[第百二十二話(はるか篇-5)] [第百二十四話(はるか篇-5)]

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by takuyaasakura | 2008-06-11 12:02 | 第百二十三話(はるか篇-5) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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