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カテゴリ:第百二十九話(まこと篇-5)( 1 )

第百二十九話(まこと篇-5)

はるかの両親が自分たち二人の部屋となった一室に二段ベッドを入れてくれた時には正直胸を撫で下ろしたものだった。
まことは自分から上を選んだ。はるかの方が鈍いんだから寝ぼけて落ちたりしたら大変じゃん、と口ではそんなことをいったのだけれど、本当は上段の方がなんとなく自分を上手く封じ込められるような気がしたせいだった。

からかったまことにはるかは真剣に頬を膨らませ、そんなことしないもん、と唇を尖らせて抗議した。
そんな彼女を心底可愛いと感じた。
あたしはこの娘が好きなんだと改めて胸で呟いてもいた。
同時に傍らで微笑むはるかの母に対しいいようもなく後ろめたい気持ちを抱いていたことも本当だった。

―あたしは、はるかが好きなんだ。

目の前にほど近く迫る天井を睨みつけながら幾度胸のうちでそんな言葉を呟いて夜を過ごしたことだろう。
その彼女が自分の背中の真下で今まさに寝息を立てている。
部屋の空気に漂ったほんのかすかな甘い匂いに自分がそれを知ることができる。
それはたとえようもなく幸福な瞬間であり同時に耐えがたい苦しみだった。

もし何かあったらはるかを守ってあげて。
いつか彼女の母にいわれた言葉が頻繁に甦るようになったのもこの頃だった。
あるいは胸の奥底に沈殿していたその一言が、まこと自身でさえ気づかぬうちに、たとえば空中の砂粒が雨や雪のつぶての核となるようにして、自分のはるかへの好意というものを作り上げてしまったのではないか。
そんなふうに考えてみたこともある。

だがどんな比喩や言葉で捕らえてみようとしても結局は同じことだった。
この気持ちが好きだという想いでないのなら、いったいほかのどんな感情をその名前で呼んで理解すればいいというのだろう。
しかもそれは、自分から捨てようとか止めようとか思ってそうできるものですらなかった。

一緒に生活した三年あまりの間に、いやその後の時間のすべてをかけてまことが思い知ったのはその事実だった。
灯り消すね、と口にしながら夏物のパジャマを身につけたはるかが電灯の紐に向けて腕を持ち上げるその一瞬、半袖の短い袖がわずかに広がり白い脇の下が覗くようなことが時にはあった。
先にベッドに引っ込んでいたまことの位置からはそんな様子がちょうどまっすぐに目に入ることも多かった。
ただそれだけのことが嬉しくて、同時にそれを喜ぶ自分がどうしようもなく汚らわしく思えて仕方がなかった。

はるかが愛しかった。
守りたいと思った。
今まで自分が晒されてきたような痛みや傷つけられ方は彼女には決して味わってほしくないと心から思った。
絶対味合わせまいと決めていた。

それは胸を張ってかまわない感情のようにも思えた。
けれどその想いは常にあの衝動と一体だった。
ちょうど一枚の紙の裏と表のようにその二つはどちらかだけでは存在できない種類のものであるようだった。
何よりもその矛盾が恐かった。

―いつか自分がはるかを壊してしまうのではないだろうか。

気がつけばそんな予感が絶えず胸にあるようになっていた。
その感覚はかつて幾度も感じたあの不吉な手触りを帯びていた。
ほかの誰かに傷つけられてしまうくらいならむしろこの手で引裂いてしまいたいとさえ思うようなこともあった。
いずれ成就するならば、それが正しい方法に違いないと思い込みたがっている自分を自覚した。
それでもまことは自身に関るものであれば自分の力で回避できるのではないかと思った。
そう信じるほか術がなかった。

そんな感情を自覚しながら彼女とその家族と毎日の生活をともにすることが辛くない訳はなかった。
でもはるかのそばにいていいというだけで耐えていける気がしていた。
もちろんはるか本人には絶対悟られてはいけなかった。
ほかの誰かに打ち明けることなども当然考えられなかった。
そんなことはできるはずもなかったし、大体自分には、はるかたち以上に近しい存在などいなかった。

大丈夫だと思っていた。
まことにはどんな思いでも一人で抱えられる自信があった。
物心ついた時からそうして来たし、母の殴打にもずっと鍛えられてきた。
仁村にされたことだって結局は一人で整理をつけた。
そういうのに比べてしまえば今の苦悩などまるでどうということはないと思えた。

だが自分は知らなかったのだ。
肉体の痛みはいつかは通り過ぎていく。
自分の体にひそむ生命のエネルギーみたいなものが勝手に働いて元の状態に戻してくれる。
けれど思いが心に穿った穴を埋めることはそんなふうにはいかないのだ。
別のやり方が必要だし何よりもっと長い時間がかかる。
その二つは実はまったく別のことだった。


[第百二十八話(まこと篇-5)] [第百三十話(まこと篇-5)]

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by takuyaasakura | 2008-06-19 12:37 | 第百二十九話(まこと篇-5) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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