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カテゴリ:第百三十三話(まこと篇-5)( 1 )

第百三十三話(まこと篇-5)

学校の図書室で同性愛という言葉を頼りに本を探すことには緊張以上のものがあった。
しかもそれを当のはるかと暮らす家に持ち返るという行為にはどこか背徳感めいたものさえつきまとった。
しかもまだ中学生だった自分には性という漢字を目にするそれだけことにも戸惑いがあった。
それでもやめることができなかった。
当時の自分が目を通した内容をどの程度理解していたのかはもうはっきりとはしない。
むしろ今になってもわからないことだらけだといった方が正確なのかもしれないとも思う。

その種の本にはまずはじめの方にたいてい、女性同志のそれを指すレズビアンという言葉がギリシャ時代のサッフォーという詩人に由来しているという内容が書かれていた。
彼女が暮らしていたレスボス島という地名がその語源となったのだそうである。
ちなみにこの島は、ラヴェルのバレエ組曲で有名な『ダフネスとクロエ』という作品の舞台としても知られている。
もっともこちらは少年と少女の普通の愛の物語である。

ところでこのサッフォーにはきちんとした夫がおり、実際には彼女が同性愛者であったという明確な証拠は確認することができないらしい。
それどころかこの詩人は最後にはある青年への失恋を原因に投身自殺したとする伝承もあるようだった。

もし本当にそうだとしたら、つまりサッフォーが普通の異性愛者だったのだとしたら、果たして彼女は自分の名前が今に至るまでなお、まるで同性愛の代名詞とでもいうべき存在として語り継がれていることをいったいどう感じるのだろう。
読みながらそんなしようもないことを苦笑混じりに考えもしたものだった。
おそらく事実は、彼女が子女の教育を目的とした女性だけの学校を設立していたことと、その詩の持つある種の官能的な雰囲気とが後世になって結びつけられ、やがていつのまにかそういうイメージを形成してしまったといったところだったに違いない。

いずれにせよこの紀元前の詩人の後、同性愛者と呼ばれるような人々が記録に名前を残すことは、西洋ではほとんどなくなってしまう。
キリスト教がこれを弾圧の対象としたからだ。
行為そのものはもちろん、おそらく服装や立居振る舞いまでもが標的されていたのだろうとも思われた。

たとえば彼の有名なジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた理由にも、実は男装の罪が占めていた部分が決して少なくはなかったらしい。
もちろん彼女が鎧兜に身を包んでフランス軍の陣頭に立っていたためだ。
あの悪名高き魔女狩りの背景にも、あるいはひそかにそんな要素が紛れこんでいたのかもしれない。
だがだとするとそれはむしろ、そういった社会的な抑圧の中でもその種の感情が、人の入れ替わりこそ重ねながら脈々と行き続けていたという事実の証左になっているといえるのかもしれなかった。

二十世紀も間近になってようやく、同性愛者たちは声高に自己の存在を主張することを始めるようになる。
人権という思想が浸透したことにくわえ、男女平等やフェミニズムといった考え方の台頭や、あらゆる差別の不当性が暴かれるようになっていったこととが相俟ってそういった風潮を後押ししたのに違いなかった。
続くこの百年の状況の変化は、中世近代を通じての沈黙と停滞の長さに比べれば劇的といって差し支えなかった。
二十一世紀を迎えた現在では、オランダやベルギーなど数カ国で同性同志の結婚が合法化されており、結婚まではいかなくともある種のパートナーシップを法的に保護しようというオーストラリアのような国も出てきている。
もっとも、イスラム圏内の幾つかの国では今なお同性愛は刑罰の対象となったままである。
どうやらこの問題は宗教とは簡単には切り離せない種類のものであるらしい。
だがそれもむしろ当然のことだろう。
根拠などなくともそれはなんだか納得がいった。

ではもし自分が、たとえばイランとかイラクといった中東の砂漠の国に生まれていたとしたら、はるかを思うただそれだけのことで罪を問われていたのだろうか。
本を閉じ枕の下にしまいながらそんなふうに思いを巡らせてみたこともしばしばだった。
けれど髪をすっぽりとスカーフでおおい目だけを出すあの民族衣装に身を包んだ自分たちの姿を細部まで想像することは難しかった。
気候も生活も言葉も感情も自分とはあまりに縁遠いものに思われたせいだった。
同時にもしその場所で生まれ育っていたならば、おそらく自分は同性であるはるかへの想いをここまで育んでしまうようなことはしなかったのではないかという気もした。
また一方では、同じ感情が時代や国や法律によって罪とされたり逆に支えられるべき対象となったりすることの不思議に違和感を抱きもしていた。

そういった情報を手の届く限り寄せ集め詰め込みながら、結局自分は誰かに肯定して欲しかったのだろう。
今ならばあの頃の興味を支えていたのはその気持ちだったとわかる。
はるかへの感情が揺るがない以上それは仕方のないことだった。
誰にも打ち明けることのできない想いを、せめて紙の上でだけでいいから仲間を見つけて共有したい。
それがすべての動機だった。


[第百三十二話(まこと篇-5)] [第百三十四話(まこと篇-5)]

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by takuyaasakura | 2008-06-25 12:29 | 第百三十三話(まこと篇-5) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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