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カテゴリ:第百三十七話(まこと篇-5)( 1 )

第百三十七話(まこと篇-5)

今になってみれば、あの頃の自分はただ目の前に群れを為した活字の中からどうにか自分でも咀嚼できそうな内容を探し出すことだけで精一杯だった。
しかもその一つ一つに触れるたび、ある時にはそっと胸を撫で下ろし、また別のある時には底知れぬ不安に苛まれたものだった。

あるいは自分は本当は男なのに女の身体を得て生まれてしまった、そういう異質な存在なのではないか。
あの母ならばどんなにホルモンのバランスが乱れていたとしても納得がいく。
そんなことを疑っては生理を迎えて後ろめたく安堵した。

自分が昔から男の子とばかり遊んでいたような記憶しかないこともいつしか気になり始めていた。
実際には同年代の子供たちと接する機会そのものが少なかったせいなのだけれど、そこに意味を見つけたがっている自分がいて抑えることができなかった。
スカートを好んではきたくないことも、理由など十分にわかっているはずなのに何かの証拠のように思えて仕方がなかった。

風呂上がりやシャワーを浴びた後には洗面台の前に立ち鏡に身体を映してみることもしてみた。
首を持ち上げて咽喉を伸ばし、そこに変な出っ張りが見つからないかと毎回のように確かめていた。

ちょうどその時期には、少しずつだけれど着実に胸が膨らんでいくのがわかった。
子供だった頃の自分のその場所がどんなふうだったかさえすっかりわからなくなってしまうのにもさほどの時間はかからなかった。
もっとも初潮を迎えてからのはるかの変化に比べれば、自分のそれは微々たるものではあった。

そんなふうに誰にも相談などできぬまま、当時のまことは不安と安堵の間を振り子のように揺れ動いていた。
毎日がその繰り返しだった。
どうにかして自分というものをはっきりと決めてしまいたかった。
本当は誰かにきちんと説明してほしかった。

だが結局自分は、本当に深いところではどちらの答えも欲してはいなかったのではないだろうか。
月日が過ぎてようやくそうわかったような気もする。

もし自分がそんな男でも女でもない存在なのだと決められたら、むしろより男性の方に近いのだと明らかになったら、そうすればきっとはるかへの感情をすっかり肯定してしまうことができる。
他愛のない、しかも根拠すらどこにも見当らない想像を飽きもせず繰り返していたのは、つまるところ片隅に常にそんな願いが潜んでいたからだった。

けれど同時に当時の自分は実際にそんなことになってしまったらとても耐えられないとも感じていた。
その思いは決して理屈の届かないような場所にあった。
それはつまり、自分のジェンダーが女のままでありたいと願っていたということだったのに違いない。

様々な情報を通過して改めて痛感するのは、身体ですら心を決めてくれないという事実のいいようのない理不尽さだ。
その手触りには冷徹という言葉こそが相応しいようにも思われる。
それでもまことは、本当にほんの少しだけだけれど、そこに暖かさみたいなものを感じもしていた。
それはたぶんほかの誰にも理解できない感情だと思う。
とりわけはるかやその家族にはなおさらだろう。
自分の肉親を誇れる人には、この気持ちは決してわからないはずだ。

いずれにせよ、GIDやISといった現実が存在するということは、まるで心と身体とは実は別の次元で別の論理に従ってパラレルに動いているのだというような意味合いを私たちに突きつけてきているようにも見える。
時にむしろ心の方が肉体に先立ってそこに存在していたようにさえ思えることもある。

女性として受精したのに、脳の分化の起こる時期に何らかの理由でホルモンシャワーを浴び、男性の脳の特徴を備えてしまった。
おそらくGIDのある一定の部分はいずれそんなふうに説明されるようになるのかもしれない。
そしてそのホルモンシャワーの原因についても、科学はやがて法則とかあるいはある種の食べ物や嗜好品との因果関係を特定してくれるのかもしれない。

こういった、ある作用がいつどの段階で働くことでどんな結果が導き出されるのかといういわばメカニズムの部分ならば、遠くない将来に細部まできちんと解明される可能性も決して皆無ではないのだろう。
日々を必死にその問題に挑んでくれている人たちがいることも事実だし、その努力を否定しようという気は毛頭ない。

だがその奥底にあるはずの、ではいったい何故そんなことが起きるのかという理由に私たちの手が届くことは、ひょっとすると決してないのではないだろうか。
時にそんな気がしてたまらなくなることがある。

その感覚は、何故私たちがここにいるのかという問いがたぶん本当に望まれているような答えを決して得ることがないのとどこか似ていた。


[第百三十六話(まこと篇-5)] [第百三十八話(まこと篇-5)]

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by takuyaasakura | 2008-07-01 10:52 | 第百三十七話(まこと篇-5) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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