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カテゴリ:第百三十九話(まこと篇-5)( 1 )

第百三十九話(まこと篇-5)

そしてそこにはもう一つ、まことにとってのすくいがあった。

もしも自分の心が無から始まったのではないとしたら、それが本当なのだと信じられたならば、そこにひょっとしてはるかへの想いの根拠を見つけられるのではないかと当時の自分は考えていた。
そうしてもかまわない気がしていた。

ギリシャ神話によれば、古来人間は二人一組で背中合わせの形でくっつき、計四本の手足と二つの頭とを持ち存在していたのだという。
男と女の組み合せもあれば中には男同士女同士のものもいたという。
彼らはけれどその不遜な態度によって大神ゼウスの怒りを買い、それぞれ二つに引き剥がされて生きることを強いられてしまう。
だから人は今でもなお、かつて自分だった互いの分身を捜し求めて恋をするのだという。

このかつての人間のうち男女一体のものが特にアンドロギュノスと名づけられ、今でもこの語が半陰陽を意味する言葉として使われているのである。
それにしても神話そのものが最初から言外に同性愛の可能性を否定していないのはなんとも興味深いことだった。

だがいずれにせよこんな話は所詮寓話の域を出ない。
そんなことはわかりきっている。
でも互いの分身などでなくてかまわない。
それでも自分の心が生まれ落ちる前にいたどこかの場所で、もうすでにはるかを知っていたと考えることくらいはひょっとして許されるのではないのだろうか。
だからこそ、私の気持ちはどうしようもなくはるかに向いてしまうのだ。

そもそもがそういう絆があったがために、ひょっとして私たちは出会ってしまったのではないだろうか。
目に見えない何かの呼び寄せられるようにして私はあの町に暮らすことになったのではないだろうか。

本当は一目みた時から自分は相手に憧れていた。
だからこそ自ら進んで声をかけた。
そんなことはかつてしたこともなかったというのにだ。
やがて少しずつ知り合ううち、自分とはまるで違ういつもはしゃいでいるような様子に惹かれ、そして叶うなら彼女のようになりたいと願った。
それがいつのまにかこんな気持ちに変わってしまった。

最初の日の坂道やあの冬の湖畔で繋いだ手はそれだけで素敵だった。
暖かでどこか照れ臭いような気持ちにさせられた。
想いはもっと単純で純粋なものだった。

なのに一つ部屋で暮らすようになってからは気安く触れることさえできなくなった。
怖かったからだ。
自分の中に潜む何かが彼女に取り返しのつかないことをしでかしてしまいそうな気がしていつもどこかで怯えていた。
はるかへの感情が強くなればなるほどその悪寒に似た衝動は際限なく高まった。

一つに、なりたい―。

あの日々、まるで誰かが耳元で繰り返しそんなことを囁いているようにも感じられていた。
でもそれは自分の思いに間違いなかった。
今ならばその正体も何となく想像がつく。

それはたぶん、幼い頃から止むことなく部屋に漂い押し入れの中にまで忍びこんできたあの気配と近いものに違いなかった。
もともとは母や母の上におおいかぶさった仁村やほかの男たちが行為の間中絶えず発散していたそれが、どれほど防ごうとしても結局は防ぎ切れず、知らぬ間に自分の中にも澱のように積もっていたのに違いなかった。

おそらくは性欲という名で呼ぶのが相応しいものなのだろう。
でもまことには、自分の抱いた感情はその語感とは少し違って思えた。
だがもちろんまだ子供の域を出なかったまことにはその正体を言い当てる言葉などなかった。
残念なことにそれは今でも変わらなかった。

ただなんとなく、渾然としたその衝動の核にあるものがこの頃になって少しだけつかめた気がし始めているのも本当だった。

―それはこの体から出たがっていた。

そいつはこの四本の手足しか動かせないことが不満なのだ。
最初はもっと広い場所で何の制約もなく無限に広がっていられたのにいつのまにかこの小さな体に閉じ込められていることがたまらないのだ。

あるいはそんな衝動を、あの有名なオーストリアの精神分析医はタナトスという名前で名付けてみたのかもしれない。
彼はそんなふうにして人が持つ生きようという衝動とその気持ちを区別しようとしたのだろう。

だがまことにはそれだけでは不十分であるように思われた。
そこに並べられた二つが実は同じものの別の姿であるように思えて仕方がなかった。
そのありようは、はるかをいとおしむ気持ちの裏に彼女を壊してしまいたい衝動が拭い難く常に張りついているのとよく似ていた。

はるかの寝息を耳にするたびに迫り上がるそれを夜毎必死に抑えつけた。
時には体が熱を帯び眠れないようなこともあった。
気がつけばそこにある想いはもう好きだという言葉では足りなくなっていた。


[第百三十八話(まこと篇-5)] [第百四十話(まこと篇-5)]

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by takuyaasakura | 2008-07-03 12:11 | 第百三十九話(まこと篇-5) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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