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カテゴリ:第百五十六話(はるか篇-6)( 1 )

第百五十六話(はるか篇-6)

「もう気にしてもしょうがないから忘れなさいよ。
だいたい六年も音信不通だなんて、恩知らずにもほどがあるわよ」

抑えたつもりだったけれど声に苛立ちがにじみでてしまった。
メモ書きみたいな書置きを一枚だけ残して彼女が出ていってしまってから、この母がいったいどれほどの心労を重ねてきたか。
そばで見ていたはるかには十分過ぎるほどにわかっていた。
そしてその一連が、母がここまで体調を崩してしまった遠因となっていることもまた疑いようはなかった。

「今はとにかくよくなることだけ考えて」

お願いだから、と続きそうになった言葉をけれどはるかは飲み込んだ。
どこがどうというわけではないのに、なんだかその一言がこの場にはとても相応しいとはいえないように思えたからだった。
それに本当のところはるか自身もまだ、まことのことはあまり話題にしたくない気持ちのままでいた。

少しだけ風が強まったのか、縛っていなかったカーテンが不意に母の向こうで吹き込んだ外気をはらんでふくらんだ。
はるかは立ち上がり窓際に歩いて、迷ったすえ指先ほどの隙間を残して窓を閉めた。

「ねえあなた、あの子が初めて家で夕ご飯食べてった時のこと覚えてる?」

声に振り向くと母は胸元で手を組んで、その自分の指先を懐かしそうに目を細めながら見つめていた。
左右の人差し指同士が緩慢なリズムを刻みながらくっついたり離れたりを繰り返している。
その様子はけれど落ち着かないという訳では決してなく、むしろ楽しげでもあるようだった。

「覚えてるわよ。お買い物の帰りに公園であの子を拾ったのよね」

はるかが答えると母が微笑みながらゆっくりと首を縦に振った。

「そうそう、そうだったわね」

呟いた母の声がついぞなかったほど穏やかに聞こえて少しだけ戸惑った。
裏腹に自分の心のどこかがかすかにささくれ立ったようにも感じていた。
だがこちらのそんな気持ちなど気づいたふうもなく、母はそのまま先を続けた。

「まことったらじゃがいも一つにこんなに目を丸くしてね。
美味しいですってまだ口の中におイモ残ってるのに急いでいって。
あなたならわかると思うけど私あの時、ちゃんと飲み込んでからしゃべらないとだめよって注意するの、必死で我慢してたのよ」

そういって母は小さく苦笑した。
釣られたのか気がつくと自分もぎこちなく唇を歪めていた。
けれどすぐ、母はかすかに目を伏せた。

「でもあの子、どんなに喜んでいてもどこかおどおどしてたわね。
あの時だって、食べ終わったと思ったら逃げるようにして出ていって」

うん、と生返事だけで答えていた。
覚えてないの? と訊かれて急いで首を左右に振って繕った。
忘れてしまうはずはなかった。
それどころか、あの夜の忙しなく箸を運ぶまことの姿なら、まるでつい今しがた目にした景色のようにありありと脳裏に浮かんできそうなほどだった。

けれど隣に座って相手を見つめていた自分の気持ちが、はるかにはもうどうしても思い出せなくなっていた。
そう気づいてしまえばいつのまにもどかしさとも苛立ちともつかぬものが肺の辺りにわだかまっていくのがわかった。

あの時のまことへの思いは決して今みたいなものではなかった。
それどころかもっと、なんていうのだろう、透明でいて確かな温度がある、そんな不思議な、でもしっかりとした手触りを持った何かだった。

あんな感情を抱くことはもう自分にはないのかもしれない。
まだ子供だったからこそ、あたしはそれを自分のものだと感じることができていたのかもしれない。

ふとそんな思いがよぎって消えた。
気がつけば幼かった自分はまるで、はるか自身でありながらもう決して自分とは重なり合うことのない別の誰かであるようだった。
「ねえはるか、あなたはあの子が本当に笑ったところって、見たことある?」

少しだけぼんやりとしていたせいで、母の声に思わず肩が揺れてしまった。
え? と訊き返しながら問いの意味を反芻した。
それから急いで記憶の中の彼女の顔を一つずつ確かめてみようとした。
でもそんなことをするまでもなく母のいわんとしていることは明らかだった。

公園の彼女はもちろん、家や学校でもまことが笑顔を浮かべることは稀だった。
それに、たとえ笑っていたとしてもその笑みは必ずどこかぎこちなかった。
いつだって瞳の一番奥に冷たさとも暗さともつかぬ何かがひそんでいるようだった。
思い起こしてみれば、むしろ一緒に暮らすようになってからの方がまことの笑みは硬くなっていたようでもあった。

―いや、その理由なら思い当たる。少なくともあたしにはわかっている。

そこまで考えた時だった。
母の声が届いてその続きを断ち切ってくれた。

「もしもよ、もし私たちが引き取ったことが結果的にかえってあの娘を苦しめてしまったのだとしたら、私はやはり間違っていたということになるのかもしれない」

おそらく母も似たようなことを考えていたのだろう。
でも違うのだ。
少なくともそれは決して母のせいではないはずだった。

「そんなことないよ」

思うより先に言葉はこぼれていた。

「絶対そんなはずないって。だって―」

けれどその先をどう続けていいのかがわからなかった。


[第百五十五話(はるか篇-6)] [第百五十七話(はるか篇-6)]

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by takuyaasakura | 2008-07-29 10:44 | 第百五十六話(はるか篇-6) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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