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カテゴリ:第百六十七話(まこと篇-6)( 1 )

第百六十七話(まこと篇-6)

自分たちの関係の微妙な変化は、例の店での一件の直後からもう始まっていたのだと思う。
まず気づいたのは、ふとした瞬間にはるかの動作にぎこちなさを感じることが起きるようになっていたことだった。
たとえば食事の際、はるかの両親のどちらかに何かをとってといわれ、並んでいた自分たちがそれぞれに伸ばした手が思わずぶつかってしまいそうになるような場面があった。
そんなとき先に腕を引っ込めるのは決まってはるかの方だった。
それも驚いたように一瞬肩ごと腕を震わせて、その自分の動作を悔やむような笑みを浮かべて繕ってみせることが常だった。

そういう時のはるかの表情は、確かに滅多に見せないものではあったのだけれど、それでもどこかで目にしたような記憶があった。
いつのことだったかと考えて、昔彼女が自分を迎えに玄関まできた時の様子だと思い出した。
自分の母親のことを、あまり得意ではないからと申し訳なさそうに説明にしたまさにその顔に違いなかった。

さすがにそう気づいた時には愕然とした。
はるかが決して自分の姿にあの母を重ねている訳ではないとはわかってはいても、その疑念を拭い去ってしまうことが難しかった。
でも本当はそこにひそんでいたものの正体はおそらく怯えだったに違いなかった。
だが当時の自分は到底そんなことは認める訳にはいかなかった。

結局自分にできたのは何もなかったように振舞うことだけだった。
それが一番いいと思ったしほかの術など見つからなかった。
口に出したわけではないけれどはるかにもその気持ちは伝わったらしく、やがて日常は前と変わらずに流れてくれるようになった。
二人で額をつきあわせて宿題をこなし、流しの前に並んで洗い物を片付けた。
誰にも見せずに持ち返ったテストの点数をはるかとだけは比べもした。
けれどかすかなぎこちなさがすっかり消えてしまうことはやはりなかった。

そんなはるかが唯一心底楽しそうな笑顔になるのは哲平が訪れた時だった。
部活で忙しいはずなのに、哲平は相変わらず暇を見つけては片岡家に顔を出すことを続けていた。
むしろバイクに慣れてからの方が来訪の頻度は増えていた。
今や部の中心選手となっていた哲平は、傍からみてもすっかり自信にあふれていた。
ほんの小さな記事ではあったが新聞のスポーツ面の片隅に紹介されるようなこともあったから、実力も相当なものだったことには確かに間違いはなかった。
それでも、学校でもらったという女生徒からの手紙をわざわざ持ってきて見せびらかすような部分は、まことから見れば行き過ぎで、少なからず鼻につくものだった。

だがはるかの方はまるで気に留めるふうもなく、むしろ地元のヒーローとそのように個人的な時間を共有できる立場にあることを誇りに思っているようだった。
学校では相変わらず互いにあまり口をきかないようにしていたのだけれど、同じ教室で過ごすようになればはるかが友人たちと交わす会話の端々から自ずとそんなことも知れた。だが同時にそれは、結局自分がはるかの声ばかりを無意識に追いかけていたことの証左でもあるのだろう。
思い起こせば、休み時間や放課後になると耳に入ってくるそんなやりとりを、自分はいつも苛立たしく聞いていた。
はるかとの間にあのぎこちなさが生まれてしまってからはなおさらだった。

実際クラスメイトの女子たちの会話はなんだかいつも浮き足だったものだった。
たとえば哲平のことが話題になっているような時でも、彼女たちの調子はテレビでしか見たことのないアイドルたちが語られている時と変わらなかった。
そんな中にはるかが溶け込んでいることがたまらなくもあったし、たとえばはるかが哲平との間柄を羨ましがられてからかわれて、さらに照れたりしていると、まことはもうどうしようもなくなった。

彼女たちがそういった偶像に向けて共有しているものが何であれ、それは自分がはるかに対して抱いている感情とは決定的に違うと思っていた。
そこにはるかが、いわば毒されてしまうような気がして焦りに似たものを感じることさえあった。
けれど、では自分がどうしたいのかと自問すればもうすっかりわからなかった。
家に帰りさえすればはるかのすぐ横に、誰よりも近くに自分の居場所がある。
それだけで満足すべきだと思ったし、それ以上は望まないと決めたはずだった。
自分の中に渦巻くあの訳のわからない衝動もどうにか飼い慣らせたと思っていた。

だがうっかりそれを表に出してしまったあの一件以来生じたはるかとの距離が、その自分を揺るがせていた。
以前のような親密さが薄れてしまった気がして仕方がなかった。
どうにかそれを取り戻したいと願いながら、その術が見つからぬままでいた。


[第百六十六話(まこと篇-6)]

[PR]
by takuyaasakura | 2008-08-13 13:15 | 第百六十七話(まこと篇-6) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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