Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第百七十六話(まこと篇-6)( 1 )

第百七十六話(まこと篇-6)

映画が終わってもしばらくどちらも口を開かなかった。
画面がニュースに変わったのを機にまことはリモコンに手を伸ばし、順番にチャンネルを変えてみた。
けれど面白そうな番組は見つからなかった。
つまんないねと口にすると、はるかも黙って頷いた。
寝よっか、とまことがいうと、はるかはもう一度首を縦に動かしかけ、でも一階に誰もいなくなっちゃって大丈夫かな、と首を傾げた。
窓とかちゃんと鍵さえ見ておけば、今夜だけだしそんなに神経ピリピリさせなくても平気だよ、と答えはしたのだけれど、はるかはなお心細げだった。
改めて、この娘は一人きりで夜を過ごしたことさえないのだな、と妙に感心するような気持ちになった。

手分けして改めて家中の戸締りを確認した。
映画を見ている間は気づかなかったのだけれど、表はいつのまにか結構な降りになってしまっている様子だった。
明日が休日であることも互いに頭にあったから、部屋に引き上げてもすぐには眠ろうという感じにならなかった。
部屋の中央の座卓に向かいあい、しばらく他愛ないおしゃべりをした。
合間に今日亡くなったという人の話を訊いてもみたが、はるかの方も、たぶんお母さんたちのお仲人をやってくれた人だと思うけど、といいながらそれほどの確信はなさそうだった。
話題を探してまことがさっきの映画を持ち出しかけると、はるかは、止めてよ、と本気で怒った顔をした。

「ねえ、訊いてもいい?」

つかのま言葉が途切れた後、おずおずとはるかが切り出した。
顔を上げると視線がまともにぶつかって一瞬だけはっとした。
はるかの方もさらに少しだけ躊躇ってから先を続けた。

「なんでさ、まことお夕飯の時、あんなにお母さんに噛みついたの?」

え、と眉をひそめてしばらく考え、ようやくはるかのいう中身に思い当たった。
確か月がどうのこうのという話だった。
訃報が届いてからの落ち着かなさにすっかりそんなことは忘れていた。
思い出せた今になっても、なんだかそんな会話が今日のこの同じ日の出来事だったとは上手く思えなかった。

「あたしそんな、噛みついたりしたかな―」

居心地の悪さに戸惑いながら口に出すと向かいのはるかが大きく首を縦に動かした。

「うん。全然納得いかないって感じだった」

最初はたぶん、漱石が月がきれいだという言葉を愛しているの訳語として採用したとかいった話だった。
それがそのまま、じゃあそういう会話がどういった場面でなら成立するのかというようなことが話題になったのだったと思う。

「だってさー」

とりあえずは言葉を継ぎながらもう一度その時のやりとりを自分できちんとたどりなおそうとした。
だが片隅には同時に気の進まない自分がいたことも本当だった。
そのせいか、聞いたはずのはるかの母の言葉さえ上手く思い出せなかった。
はたして自分は何をどう彼女に返したのだろう。
彼女の考えのどこにそれほどの違和感を感じたのだろう。
自問を重ねたが答えはまるで見つからなかった。
ふと見ると、言葉に詰まった自分に気づいたのか、はるかが申し訳なさそうな顔を浮かべていた。

「ごめん、ひょっとしてあたし嫌なこと聞いたかな?」

「全然、ぜんぜんそんなことない。はるか全然悪くない」

慌てて首を横に振った。
とにかく何かいわなければとまことは焦った。

「やっぱりそんなの有り得ないと思ったんじゃないかな。
月は、どうひっくり返してもそういうのとはあんまり関係ないよ」

自分が話の焦点を微妙にずらしたことはわかっていた。
だがはるかは気づかないふうだった。

「まあね、そもそもお父さんのいうとおり、私たち日本人は、愛してるなんてそんなに口にしないもんね」

そこでふとはるかは小鼻を膨らませ、組んだ手に顎を乗せると、でもさ、と続けた。

「もしそれが、なんていうの? 
それこそ昔の合言葉みたいにしてさ、お互いだけに通じるっていう約束があるんだったら、愛してるの代わりにそういうのは、きっと照れ臭くなくていいかもしれないね」

「月がきれいってこと?」

「そう」

訊き返すとはるかが大きく頷いた。
そこでどちらからともなく窓の方へと顔を向けた。
締め切ったカーテンの向こう側では雨音がまだ続いていた。
さっきよりも激しい降りになっているようだった。

「でも今日は絶対月は見えないね」

そう呟いたはるかの鼻が小さな音を立てた。
少し寒くなったかなと口にして立ち上がったはるかは、そのまま自分の洋服ダンスに歩き、中から夏用の薄いカーディガンを取り出して羽織った。
そこでこちらに振り向いたはるかが自分をじっと見下ろした。
いつになく真剣な顔つきだった。
ふと背筋を伸ばさなければならないような心地もした。
だがその奥底にあるものは、あのいつもの不吉な予感に似た手触りの何かだった。
まことは気取られぬよう口の中だけで唾を一つ飲み込んだ。


[第百七十五話(まこと篇-6)] [第百七十七話(まこと篇-6)]

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by takuyaasakura | 2008-08-26 11:30 | 第百七十六話(まこと篇-6) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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