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カテゴリ:第百九十六話(はるか篇-7)( 1 )

第百九十六話(はるか篇-7)

「でもさ、だったら一つだけ訊いてもいいかな?」

よせばいいのにと思いながらもその問いを我慢することができなかった。
哲平がああ、と応じるのを確かめて、はるかはまた軽くまぶたを合わせてから続けた。

「その人って、やっぱりまことに似てるの?」

相手が苦笑したような気配が伝わってきた。
でもどんな顔をしているのかが全然浮かんでこなかった。
やっぱりもう、ずっと前から遠かったんだなと思った。

「改まって一つだけなんていうから何かと思ったらよ、ずいぶん変なこと訊くんだな」

聞きながら、だから訊かなければよかったのにと後悔した。
その先に続くはずの彼の答えを予測して体が勝手に身構えた。

「いや、あいつには全然似てないよ」

でも言葉は思っていたのとは逆だった。
途端に肩に強張っていた何かがするりと抜けた。

「そうだな、どちらかといえば、むしろお前の方に似てるんじゃないかな。
泣き虫だし、それに料理得意だし、とにかく何にせよ一生懸命でな。
こっちにきてから俺、ずいぶんあいつに助けられたんだ。
やっぱしばらくは荒れてたからさ」

この気持ちはいったいなんなんだろう。
一方では夢を断たれて苦しんだであろう哲平の日々に想像を巡らせながらも、はるかはそれを訝ることを止められなかった。
嬉しいことなんて何もないはずなのに胸の奥が暖かかった。
もうずっと氷みたいに青白かったその場所の一画に、ほんの小さな橙色の灯りがともされたような気がしていた。

はるか? と回線の向こうの哲平が怪訝そうな声を出した。
はっとして慌てて口にすべき言葉を探した。

「でも本当、哲平ちゃんに似た男の子だといいね」

その自分の言葉につられてだったのだろう、一瞬だけ胸の片隅にまだ手のひらさえきちんと開いていないような赤ん坊の姿がよぎって消えた。
おう、とまた哲平が誇らしげな声を出すのを何故だかとても遠くに聞いた。

「ねえ哲平ちゃん」

はるかはそこで一つ息を呑んでから続けた。

「約束して。
奥さんも子供もちゃんと幸せにしてあげてね。
それと、哲平ちゃんもちゃんと幸せになるんだよ」

やっといえたと思った。
この気持ちがちゃんと伝わればいいのにと心底願った。
気がつくといつのまに頬を涙が伝っていた。
あたしったらまた泣いてる。
そう思いはしたけれど、でもその涙はここしばらく流したどの涙とも違っていた。
それどころか、かつて自分が流したどの一つとも全然似てはいなかった。


電話を切ってもその静かな熱はなかなか引いてはくれなかった。
それどころか、今日一日硬く強張っていた自分の心がゆっくりと綻んでいくような気配さえあった。

でもどうしてそうなるのかが自分でも皆目わからなかった。
ひょっとするともう自分のどこかがとうとう壊れかけ始めているのかもしれないなとさえ思いもしたけれど、それでもその感覚は決して嫌なものではなかった。
むしろ何もかもを忘れてすっかり身を委ねてしまいたいほど蟲誘的だった。

―ほんの少しだけだけれど、勝ったんだと思っていた。

本当は全然そうじゃないのも、つまりは哲平がまことと比べて自分を選んでくれたという訳では決してないことも十分にわかっていたつもりだし、そもそもが勝つという言葉自体全然好きじゃなかったはずなのに、そう思う心が止められなかった。
自分に似ているというその彼女のことを想像しようとしてみたけれど上手く行かなくて諦めた。
うっすらとだけどうにか浮かべたその記念写真みたいな構図の中で、哲平の隣で肩を抱かれて胸に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた彼女の輪郭は、だからいつまで経っても真っ白い顔をしたままだった。

―あたしじゃないのに。そんなことはちゃんとわかってるはずなのに。

気づくと足が勝手に動いていつのまにか自分を仏壇の前に連れてきていた。
目の高さにいた写真の母と目が合った。
母はいつもと同じ動かない笑みを浮べていた。

「ごめんね、母さん」

呟いたはるかはそのまま膝から崩れ落ちるようにして遺影の向かいに座り込んだ。
自分ですらない自分をまことと並べて競わせて、その結果に喜んでいる自分の心根を醜いと思った。
歪んでいると思った。
母ならば決してそんなことはしなかったに違いないとも感じていた。
でも同時に、はたして本当にそうだろうかと反駁する自分が片隅にいた。
その存在がどうしても否定できなかった。

ふと、あたしはそれを母に直接確かめたくて、それでこの部屋に足を運んだのかもしれないなと考えた。
そんなこと、もうできやしないのにと自嘲して、またぼんやりと写真の中の母を見つめた。
叱られた気持ちになるのを覚悟した。

けれど次の瞬間訪れたものは予期していた感情とはまるで違う何かだった。
だけどもし、たとえそういう自分でも許しがたいような気持ちでも、それでもその感情が、もしそれだけが今のこんなぼろぼろの自分をわずかでも支えてくれそうならば、ひょっとして思い切りすがってもいいんじゃないだろうか。
それはきっと間違いではないんじゃないのか。
いや、間違いであるという事実は揺るがないとしても、でもそれは決して誰かに責められるような種類のものではないんじゃないだろうか。
こんな日だからこそ、今日だけはそれくらい赦されるんじゃないだろうか。

もちろん自分の思いでしかないはずなのに、それらの言葉はまるで今ここにいる別の誰かが直接心にささやいて聞かせてくれたかのように響いた。
もしその誰かが本当にいるとしたならば、それはもちろん母に違いなかった。
ほかの誰かであるはずはなかった。

そうなのかな。
ひょっとして母さんは今ここにいてくれるのかしら。

胸のうちでそう呟いてはるかは再び遺影の母と目を合わせた。
すると動かないはずの彼女の笑みがほんの少しだけぶれて見えた。
気がつくと自分はいつのまにまた最前と同じ涙をこぼしていた。
肩も咽喉も動くことはなく、ただ涙だけが静かに頬を伝っていた。
それはとても温かだった。


[第百九十五話(はるか篇-7)] [第百九十七話(まこと篇-7)]

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by takuyaasakura | 2008-09-25 11:51 | 第百九十六話(はるか篇-7) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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