Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第二百十八話(まこと篇-8)( 1 )

第二百十八話(まこと篇-8)

「しかしさすがに男が恋しいよ。
自分でするのにも限界があるからね。
知ってるか? こういうとこじゃあさ、ちょっとトイレが長いと放送で呼び出されるんだよ。
ありゃあ結構小っ恥ずかしいもんだね。
でもこちとらだって生身だからこればかっかりはしょうがないやね。
中にゃたまんなくなって女同士でいちゃつき始めるのもいるけどさ、でもさすがのあたしでもあれは気が知れないな」

頬が勝手に強張ってしまうのをまことは必死で押し隠そうとした。
意思に反して浮かび上がってきそうになるはるかの顔を懸命に抑え込み、そのほかの記憶も同じように押し殺してしまおうと足掻いた。
けれど、この部屋にはそんなものは何もないはずなのに、その一瞬あの埃の臭いが鼻をくすぐった気がしていつのまに顔が勝手に俯いていた。

何も変わってはいない。
この母の言葉はいつだって自分を抉るだけだ。
そんなことは最初からわかりきっていたのに。
そう思いながらまことは浅く唇を噛み、そして、ともすればたちまち萎えてしまいそうば気力をどうにか振り絞ってもう一度首を持ち上げた。

「なんでそんなのに耐えてるの?」

「あん?」

母は意外そうな顔をして、それからまた肩をすくめた。

「別に耐えてなんかいないよ。
ここにいりゃあまず何より毎日のご飯の心配をしなくていいからね。
そのうえ気の進まない相手と寝なきゃならないこともない。
楽っちゃ楽だよ」

ねえ、と同意を求めるように母は刑務官に向けて首を傾げて見せた。
だが彼女は気づかなかった振りで応えただけだった。

「あいつのためなんだ」

まことは低く呟いた。
自分でも独り言みたいな声だと思った。
だが母はその一瞬だけ明らかに眉をひそめた。
動揺の証拠のようにも見えた。
その映像が、まるで研ぎ澄まされた針みたいに自分のどこかに刺さるのがわかった。
何が刺激されたのか、まことは思わず勢い込んで続けていた。

「あんな男のどこがよかったのさ。
どうせあれ以来、連絡だってろくに寄越したりもしてないんだろう?」

怯むような表情が母の顔によぎりもしたけれど、相手はすぐそれを繕ってまた鼻から息を吐き出した。
看守さん、あたし煙草が吸いたいな。
ちらりと横を向いた母はまたそう同席の刑務官に言葉をかけたのだけれど、自分のを持ってきてないんだったら我慢しなさいと短く諭されただけだった。
でもさあ、こないだ買わせてもらった分はもうないんだよなあ、と母が恨めしそうに唇を曲げた。
それきりまた少しだけ沈黙があった。
照明の振動音が大きくなった。

「まことあんた今まで何人と寝た?」

いきなり母が切り出した。
不意を突かれて思わず肩が揺れてしまった。

「答えたくない」

目を伏せながら口にした。
それでもあの鼻息のような笑いが耳に届くのを防ぐことはできなかった。

「あんたにわかるかどうかわかんないけどさ、あいつとの時だけはほかの誰とも違ったんだよねえ」

その口調に違和感を覚えて上目遣いに盗み見ると母がかすかに目を細めていた。
昔を懐かしむかのような、穏やかといってかまわないくらいの表情だった。
仁村からの指輪を嬉しそうにかざしていた姿がまた否応なく甦っては消えた。
今さっきあたしに会った時だってそんな顔はしなかったくせに。
止めようと思いながらそう考える自分を抑えることができなかった。

まことはちらりと刑務官を一瞥した。
だが彼女の様子からは何も読み取ることができなかった。
ここで口にしていいものかどうか迷いはしたけれど、それも一瞬のことだった。
今を逃せばその機会はたぶん二度とないはずだった。
作るつもりなどもうなかった。

「あたしはずっと知りたかったんだ。
母さん、本当はやってないんじゃないの」

その一言に眉をひそめたのはだが今度は母ではなく刑務官の方だった。
それでも、この部屋に入ってきてから終始表情を殺したままだった彼女は、やはりこの時も口を開くことはしなかった。

「忘れたね、そんなこと」

母の答えが返ってくるまでの間は中途半端なものだった。
そこにはわずかな躊躇があったようにも思えたし、そんなことはまったくありえないようでもあった。

「殊勝にして早く出てこようとかも、全然思ってないみたいだね」

だがまことが続けた途端だった。
母が突然声を上げて笑い出した。

「看守さん、今の聞いたかい。
殊勝だってよ。
あんたよくそんな難しい言葉覚えたね」

自分以外誰も頬を動かすことすらしていないのに、何がおかしいのか、母は大仰に手を打つことさえしながらひとしきり笑い続け、それから右手で同席者を指差した。

「ちょうどこの前この人にさ、あたしそういわれたばっかりなんだよ。
もう長いんだから多少は殊勝なとこでも見せなさいってさ」

「あたしを捨ててもかまわないって思ったってことだよね」

母の語尾を遮るようにしてまことはさらに噛みついた。
母の笑い声がうつろに小さくなって、やがて消えた。

「ふん、あんただってあの時はもう一人でもなんとかなる年になってはいただろう」

「そんな訳ないでしょう。あたしまだ十二とか十三だったんだよ」

「甘えたこといってるんじゃないよ。
あたしなんかもっと前から自分で稼いでたんだ。
やり方だって教えたろう。
コタツでちょうどこんなふうにしてさ」

いいながら母がテーブルの下で足を伸ばしてきた。
だがその爪先がまことの膝に触れるや否や、気づいた刑務官が、千二百三十七番、と今度こそついに声を発して母に鋭い視線を投げた。
それが今の母の名なのだと理解するまでほんの少しだけ時間が要った。
はいはい、とまた肩をすくめた母がテーブルの上に頬杖をついた。


[第二百十七話(まこと篇-8)]

[PR]
by takuyaasakura | 2008-10-29 11:17 | 第二百十八話(まこと篇-8) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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