Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第三十話(まこと篇-1)( 1 )

第三十話(まこと篇-1)

当惑がどうにか行き過ぎて、まことは気を取りなおし足を早めて相手の横に並んだ。
すると少女が歩きながらこちらに向いた。

「ねえ、訊いてもいい? 
どうしてまことって名前になったの? 
どんな字書くの?」

出し抜けにそんなことを訊かれまことはかすかに唇をすぼめた。

「ひらがなだよ」

「へえ、はるかと一緒だ。だけどさ、まことって―」

「男の子みたいだっていいたいんだろう?」

そこでまことは笑顔を作って見せようとした。
でもはるかにはおそらくぎこちなく強張ってしまったようにしか映らなかったに違いなかった。

鼻から一つ息を吐き苦しまぎれにその先を続けた。

「本当はさ、真実の真に楽器の琴って字を当てたかったらしいんだ。
それならまあまあ女の子っぽかったろうからね」

うん、とはるかが頷いた。
何が気に入ったのか嬉しそうな笑みを浮かべている。

それなのに何故だか唇がかすかに尖ってもいる。
そんな顔が自然に作れることを少しだけ羨ましくも感じた。

「じゃあそうすればよかったのにね。
でも琴って確か難しい字だよね。
画数多いから書くのには時間かかっちゃうかもしれない。
テストの時困るかな」

そんなことを続けてはるかがまた笑った。
つられて自分の頬が少し綻ぶのを感じた。

「そんなに違わないよ。
まあでも、そう考えれば得してるのかも」

「ひらがなに決めてもらえてよかったじゃない。
きっとまことのためだったんだ」

「全然そんなのじゃない」

今度はまことの方が唇を尖らせる番だった。
二人はようやく坂道を降り切って国道に入ったところだった。

少し先にバス乗り場が見えていたけれど道路にまだ車はなかった。
道の向こうに時折のぞく湖面が朝日を照り返してまぶしかった。
まことは少しだけ歩調を緩めた。

「名前ってさ、
区役所行って届けるんだ。
知ってた?」

耳に返った自分の声がわずかに低くなっていた。
けれどはるかは気づくふうもなく、それどころか、そうなんだと感心したように頷いてみせる。

まことは続けた。

「自分には父親なんていなかったからさ、
母親が一人で出かけたんだよ。
自分も背中に背負われて一緒だったんらしいんだけど、
もちろん覚えてなんかいない」

けれどそこではるかは、自分? と首を傾げた。

自分のことだよ、
と顔の前に指を差して見せた。

それでも相手は怪訝そうに眉をしかめるばかりである。
まことは肩をすくめた。

「とにかくさ、
役所で届け出の用紙をもらって決めてた名前を書こうとして、
ふと琴っていう字が
間違いなく書けるかどうか自信がなくなっちゃったらしいんだ。
でももうまことって呼び始めてはいちゃったから
他の名前も浮かばなくて、
それでしょうがなくひらがなで届け出たんだそうだよ。
あいつ本当に馬鹿だからさ。
きっと今でも書けないよ」

するとはるかは突然あからさまに怒った顔になった。
だがそれは迫力とはほとんど無縁な表情だった。
おかしさをこらえていると繋がれていた手が不意に離れた。

「駄目だよ、
お母さんのこと馬鹿なんていっちゃ。
それにあいつもよくないよ」

まことは仕方なく苦笑した。
片隅では宙に取り残された自分の手が何故だか今までになく心細くも感じられていた。

「だって本当に馬鹿なんだからしょうがないよ。
あんたもこの前見ただろう。
いい年してちゃらちゃらして誰彼かまわずしな作って、
しかもそれがばればれなんだから救いようがない」

「人は見た目で判断しちゃいけないって、
誰かに教わらなかった?」

だがそこではるかは立ち止まり、顔の前の何もない場所に人差し指で字を書き始めた。

「あは、
あたしも琴って字は全然書けそうにないや」

笑みを浮かべてそういったはるかはけれどすぐ生真面目な顔になって続けた。
「じゃあ、あたしのことも馬鹿って呼ばなきゃならないね」

いわれてまことは一層困惑した。
そんなことしないよと嘯くと、はるかはそのまま俯いてしまった。

そこで遠くにバスの影が現れた。

まことは慌ててはるかの手を取り、急がないとと駆け出した。
自分がそんなことをするのも不思議だった。

「ねえ、マコちゃん。
マコちゃんって呼んでいい?」

後ろからはるかがそんなことを叫んできた。
息が少し上がっている。
答えずにいるとはるかが続けた。

「マコちゃんも自分のこと、マコちゃんっていいなよ」

仕方なく振り向いて叫び返した。

「やだよ、そんなの。
なんかちょっと変だよ、それ」

「全然変じゃないもん。
はるかは自分のことはるかっていうよ。
じゃあマコちゃんが嫌ならマコトでもいいや。
あたしでもいい。
でも自分はもうだめ」

「なんで」

「なんでもよ」

ちょうどそこでバス停についた。
互いに肩を上下させながら顔を見合わせて笑った。
二人の目の前に車が滑り込み、どこか情けなくも聞こえる短い音を立てて開いた。


[第二十九話(まこと篇-1)] [第三十一話(まこと篇-1)]
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by takuyaasakura | 2008-01-17 13:00 | 第三十話(まこと篇-1) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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