Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第三十五話(はるか篇-2)( 1 )

第三十五話(はるか篇-2)

最初から母は隣家の様子を気にかけていた。
ああいう出会い方をしたのであれば当然といえば当然だろう。
初日の朝はるかがまことを迎えにいったのも、実は母の指示だった。

もちろんそれがなかったとしても、はるか自身も見かけさえすればおそらく相手に声くらいはかけていただろうとも思う。

だがそんな想像をしてみたところで、それから続いた諸々が決して変わってくれる訳ではない。
そもそもは、その程度は結局のところ大した違いではなかったのだ。

ようやく最近になってはるかにもそんなことが実感として捕らえられるようになっていた。

難しい言葉でいえば、時間の不可逆性というようなことにでもなるのだろうか。ありていにいってしまえば、一度起きてしまったことはどうにもならないということである。


思えば子供の頃はどこかにスイッチみたいなものがあって、そこにたどりつきさえすれば簡単に過去を書き替えられるのではないかみたいなことを、信じるという訳でもないけれど漠然と片隅で願っていたような気もする。

だからこそ、もしあの時こうしていたらなんてことをいつまでも思い巡らせることができていた。

次第にそれが難しくなってきた。
それだけでなく、本当は自分の足元に何か目に見えないレールのようなものがあって、たとえばどれだけふらついたとしても、そこから外れることはできないのではないかというような気さえすることがある。

なるほど次に続くコースを選ぶことはできる。
でも接続できるパーツは実際にはひどく限られているのだ。
結局のところ自分が進めるルートはさほど大きくぶれることにはならないのかもしれないとも思う。

―まことが越してきたあの年、本当は母は担任を持つ予定にはなっていなかった。

そもそもが、教職員の子弟が入学してくるのはある意味当然としても、本人が所属するクラスをその実の親が担任するのは望ましくないというのが学校の基本的な方針だったからである。
当時教職員の血縁だったのは全校ではるかだけだった。

ところが春休みが始まってすぐのことである。
三年生の担任を予定されていた先生がよんどころない事情で教職を離れざるを得なくなってしまった。
すでにそれぞれの学年にクラスは一つきりだったから、シフトを入れ替えることは簡単ではなかったらしい。

もちろんはるかには詳しい背景など当時も今もよくはわからない。
だがその彼女はどうやらあまり性質のよくない金銭的なトラブルに巻き込まれてしまったらしかった。
夕食後の両親のやりとりの断片からそこはかとなくそんなことが察せられた。

もっともはるか自身はその先生の名前すらもうきちんとは覚えてはいなかった。だが思い起こせば母と彼女とはずいぶんと昔からつきあいがあったようでもあった。

結局その教師の籍は補充が間に合わず一年だけ欠員となった。
自ずと周囲の負担も増えたのか、その年は母の残業も一際増えていたようにも記憶している。

ただその辺りの記憶はあやふやだった。
というのもはるかはそれよりずっと以前から無人の家に帰ることにはすっかり慣れていたからである。

本格的に家事の手伝いを始めたのも確かその少し前からだったように記憶している。

最初は帰宅してすぐ食事の支度にかかる母のそばを離れがたくて台所の辺りをうろうろしていたものが、やがて玉子を割ったり味噌を出し入れしたりといった細かな用事を指示されるようになった。
はるかがそれを人一倍面白がったものだから、母の方もやがてもう少し料理らしいことを教えてくれるようになった。

もっとも火を扱うことに関してだけはなかなか許可が出なかった。
最初のうちは玉子焼き一つでも母の目の前でなければ作らせてはもらえなかったものである。

それでも半年もそんなことが続くうち、母も次第に様々なことを自分に任せてくれるようになっていった。
帰宅して御米を研いでおく程度のことはいつしかはるかの役割になっていた。

もちろん忙しい母を助けたいという気持ちもあった。
けれどはるかにはもっと単純に、自分の手が関ることで様々なものが姿を変えるというその一点が至極興味深かった。

米を研げば白いとぎ汁が浮き上がり、水を替えるうちにそれが消えていく。
炊飯器のスイッチさえ入れてしまえば、かすかな茶色を帯びていたはずの硬い粒たちがやがて柔らかく真っ白なご飯へと炊き上がる。
卵白と卵黄が混ざり合い黄色く濁った液体が火を通すことで黄金色に固まっていく。
そんな小さな変化が不思議であり面白くもあった。

しかもそれを父や母が食べてくれるのだ。
誰かの役に立っているという手応えは、子供だった自分にはすごく重要なことのように思われていた。

遅い時には母の帰宅はしばしば六時を回るようなこともあった。
たいがいは帰宅途中で買物を済ませてきたものだったが、時には買い忘れた牛乳や調味料の類を求めにそれから二人でもう一度車に乗って出かける場合も少なくはなかった。
でなければ父の帰りを待ち切れずに二人きりで夕食に箸をつけてしまうこともめずらしくはなかった。

―その席にまことが加わるようになったのは、はたしていつ頃からだったろう。確かまだ夏にはならないうちだったはずだ。

夕刻の買物の行き帰り、助手席から時折見覚えのあるオーバーオールの影を見かけるようなことが幾度か重なった。
路上に見つけることもあれば公園の木立の陰に垣間見ることもあった。
走っている車の中からだったけれど見間違いようはなかった。

ちょうど湖に沈んでいく夕陽が逆光となる形で、そのうえ影を見つけるのはたいがい車が通り過ぎる一瞬だけのことだったから、まことの表情までをも見て取れることは稀だった。

それでも、立ち尽くすか、あるいはとぼとぼと気怠げに動く小さなシルエットは決まって両手をポケットに突っ込んでいた。

母も自分と同様その姿に気づいていなかったはずはないだろうと思う。
それでも母はしばらくの間はそんな彼女の様子を静観していた。

おそらく担任教師という立場になっていなかったら、あるいは母はもっと早くまことに声をかけていたのではないだろうか。
ただでさえはるかのクラスを受け持たなくてはならなくなったことで要らぬ気苦労も増えていたはずだったから、学年が始まったばかりの段階で、特定の子供に個人的な関与を持つことには、やはり教師としてはまず周囲への遠慮が働いていたに違いなかった。


[第三十四話(はるか篇-2)] [第三十六話(はるか篇-2)]

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by takuyaasakura | 2008-01-24 10:00 | 第三十五話(はるか篇-2) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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