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カテゴリ:第四十一話(はるか篇-2)( 1 )

第四十一話(はるか篇-2)

そこで居間の方で物音がした。
それから母の間延びした声が、はるか、もう上がったんだったら、お母さんお風呂使ってもいいかしら、と続いた。
あ、はーいと顔を向けて応じる間にまことは裏口から後ずさって表に出ていた。

「ごめんね、はるか。また明日」

いいながらまことはどうみても無理矢理とわかる笑顔を作って背を向けた。

どうしていいかわからずに、そのまま夜の暗さに消えていくまことの姿を見送った。
いつのまにまことの両手が自分の肩を抱くようにしていたことを、薄明かりの中で一瞬だけ見て取った。
手のひらがさっきまでその中にあった震えを思い出していた。

あの時この胸に湧いた感情にどんな名前をつけるべきなのだろう。
はるかには今もってその答えがよくわからない。
ただいえるのは、それは現在の自分が日々接する子供たちの細い手足に気づくたびに呼び起こされるものとよく似ているということだった。

ちょうどまことの姿が垣根の向こうに消えるかどうかというところで母が自分を呼ぶ声が再び届いた。
はるかは慌ててそっと裏口のドアを閉め、お待たせ、とことさら明るく声を作りながらとにかく急いで居間に顔を出した。

いつもならパジャマに着替えてから洗面所を出るのにこの時はすっかり忘れていた。
はるかの格好に気づいた父がこほんと一つ咳を払い、母はこちらを向いて腕を組むと、ちゃんと服着ないと風邪ひくわよ、と小さく顔をしかめて見せた。
はるかは慌てて照れるような笑みを作りこつんと一つ自分の頭を叩いて見せた。

自分の家にはいつもと変わらない平穏があった。
はるかにはここから逃げ出したいなどと思ったことはまるでなかった。

―でもまことはそうじゃないんだ。

出会った頃から薄々感づいていたことではあった。けれどそうきちんと意識したのはひょっとするとあの夜が初めてだったのかもしれなかった。
そんなことを考えながらはるかは洗面台の灯りを消した。鏡の中の自分の影がふつりと暗く落ち込んだ。

テレビはもうつける気になれずにしばらくは本を読んでいたのだけれど、やがて抗いがたい眠気が差してきた。
けれど自室に引き上げようと携帯に手を伸ばしたところで、そういえば、とメールが入っていたことを思い出した。

開けてみると予期していた通りの相手からだった。
シンイチというカタカナの発信人は智和君の父親だった。
否応なく脳裏には昼間の少年の瞳が甦ってきてしまう。
メッセージにさっと目を通してはるかは途端どうにも憂鬱な気持ちになった。
この名前が画面に表示されることを待ち遠しく感じていた時期も確かにあったはずなのにと思えばいつしか苦笑ともつかない笑みさえ唇からこぼれ出している。

月末の日曜日に時間が作れそうだとだけ一方的に知らせるメールはひどく事務的な文面だった。

椅子に腰掛けて脚を組み、はるかはそのまましばらく携帯の画面を見つめていた。気がついた時には眠気もすっかり冷めていた。

―あたしは何をやっているんだろう。

それでも自分は指定された日にどうにかして時間を作ってしまうのだろう。
出口なんかないというのに、そんなこともうずっとわかってるのに。

バカみたいだと思った。

あーあ、と、わざと声を大きく出しながら伸びをしてみた。
けれど一人きりのリヴィングではそんな音も虚しくたゆたって消えるだけだった。

まことの次の手紙が届いたのはその翌日のことだった。
今度の封筒は前にも増して分厚かった。
前日と同じように食事の支度を済ませてから、はるかは居間で一人封を切った。

『どうにか時間を作って、叔母さんに御線香を上げに帰りたいと思ってます。でも、はるかは私に会ってくれるんだろうか―』

手紙はいきなりそんなふうに始まっていた。
自分の分の食事を前にはるかはゆっくりと一つ一つの文字を追った。

『叔母さんのことを聞いて私がどれだけショックだったか。
はるかならわかってくれるだろうと思います。
もちろんもう一度はるかに会いたいと思ってます。
それが自分の望みだと、その事実が六年経った今も揺らいでいないと気づいたから筆をとりました。
でも今になってみれば私は間違っていたのかも知れないなとも思います。

でもどうしてもね、私たち親子と関ってしまったことが、おばさんの寿命を縮めてしまったような気がしてならないの。
やっぱり貴女に会わせる顔がないよ、私―』

まことのばか。
それはあたしが懸命に否定していることなんじゃないか。
それをよりによって貴女が言葉にされてしまったら、あたしはいったいどうすればいい?
思いながら鼻から深く息を吐きはるかはそこで便箋から目を上げた。

不意に泣き出したいような衝動がせりあがっていた。
それを必死でこらえながらはるかは、互いの人生からそれぞれが欠けていたこの長いような短いような時間のことを思っていた。
その間に自分が通り過ぎてきた様々なことを考えていた。
遠くからまことが自分に向かって手を伸ばしている。
そんな気がした。
けれど本当は助けを求めているのは自分の方なんじゃないかとも思えて仕方がなかった。


[第四十話(はるか篇-2)] [第四十二話(まこと篇-2)]

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by takuyaasakura | 2008-02-01 12:00 | 第四十一話(はるか篇-2) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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