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カテゴリ:第四十八話(まこと篇-2)( 1 )

第四十八話(まこと篇-2)

母は再び泣き出していた。
痛みをこらえているような泣き方だった。

だがその事実は一層まことを混乱させた。
実際本当に泣きたいのはこっちの方だった。

「お母さん?」

どうしたの、と訊こうとして訊けなかった。
母はまことの声など届かないかのようになおしばらく肩を上下させていたけれど、やがてゆっくりと顔だけを動かしこちらに目を向けた。
けれど視線の焦点はどこにも定まっていないようだった。

母はそのまま布団の上を這うようにしてまことのいる方に向きなおり、ひくひくと咽喉をしゃくりあげながら近づいてきた。
当惑に身動きできずにいると母がこちらの腹にしがみつきとうとう声を上げ始めた。

唸っているか、でなければ嘔吐しているような音だった。
へその下から伝わってくる嗚咽は体に直接もぐりこんできてそれまでまことの知らなかった痛みを誘った。
擦り傷とも頭痛や腹痛とも違う種類の感覚だった。
どこか切なさめいたものにも似ていたけれど、それはやはり痛みとしかいいようのないものだった。

しばらくその格好のままで母の好きにさせておいた。
母の手が自分のシャツをきつく握り締めているのを感じながらぼんやりと周囲を見回した。
廊下には灰皿からこぼれた吸殻が散らばっていた。
片付けないといけないなと考えていた。

ふと思いついて母の頭に手を伸ばしてみた。
セットを欠かすことのない母の髪には、触れられることに怯えて身を強張らせているような手応えがあった。

かまわずにまことはそのままそっと指を滑らせてみた。
けれど母の髪は長かった。
先まで梳くには上体を曲げなければならない。
だがしがみついている母の体が動くことを許してくれそうにはなかった。
仕方なく諦めて届く範囲だけ腕を動かすことを繰り返した。

なんだか子守歌でも歌いたいような気分だった。
だがそれは決して明るい種類の感情ではなかった。
このまま眠ってしまえばいいのに。
二度と目覚めてくれなくてもあたしは全然構わない。

気づくと母の髪を弄びながらそんなことを考えていた。
頭が勝手にそう繰り返し同じ言葉を綴っていた。
死んでくれればいいと思った訳では決してない。
でも結局は同じことだった。

膝の上の母が出し抜けに顔を起こした。
化粧がすっかり流れてまるでお化けみたいな形相になっていた。
つけまつげがはるばる頬を通り越して唇の端にまで移動している。

母は左手を持ち上げて人差し指を伸ばし、そっとその黒い捩れた糸みたいなものを口元から外した。
生気を感じさせない瞳がかすかに上目遣いになる。
顔が目の前に近かった。

「そうだ、まこと。お寿司食べよう」

そういった母はみるみるうちに笑顔に変わった。
一人得心したように頷いて立ち上がって自分の体を見下ろすと、一瞬だけ眉をしかめて衣服のあちこちを手で払う。
まとわりついていた煙草の灰や得体の知れない埃が、卓袱台や、布団や、裏返しになった折り詰めの上に音を立てずに舞い降りた。
その様がまことにはくっきりと見えていた。

でも、と口を開きかけたまことのことなど意にも介さず、母はいそいそといった言葉が相応しい仕草で落ちていた寿司折りを拾うと卓袱台の上に運び紙の紐を解き始めた。
その様子がなんだか子供じみて思えて怖いような不思議な気持ちを覚えた。

案の定折詰の中身はすっかり片方によってしまっていたけれど、軍艦の上のネタがあちこちに散っている程度でそれぞれの握りはまだお寿司の体を為していた。
食べようと思えば食べられなくはないだろう。

「あたしすっごくお腹すいちゃったんだ」

いいながら母はもうイカの握りを口に運んでいた。
醤油を探すことさえしない。
それどころかまだイカを口にしたばかりだというのに左手も忙しなく動かして白味の一貫を持ち上げている。

母は両手を使い立て続けに寿司を貪った。
最初の折りを一貫だけ残して一人で空にしてしまうとすぐそそくさと残りのもう一折りを開けた。
どうしようもない気分でまことはその姿を見守っていた。

「ほら、あんたの好きなトロだよ」

カッパ巻きを口に放り込んだ母が最初の方の折をこちらに向けて差し出した。隅に残されていた一貫はなるほどトロだった。

あたしが好きなんじゃない。
お母さんの好物なんだ。

思いはしたが言葉にすることはしなかった。
できなかった。
だいたい今の母に向け何を口にしていいのかなど、まだようやく幼児の域を出切ったばかりだったまことにわかるはずはなかった。

「どうしたの? 
食べないの? 
ぼさぼさっとしてるとあたしが食べちゃうよ」

見上げると母はやはり笑っていた。
痛々しさを誘う種類の笑みだった。

「遠慮なんかするんじゃない。
子供のくせに生意気だよ」

唇の上にご飯粒をつけそんなことまで口にする。
いたたまれなくなってまことは差し出された折りに手を伸ばした。
お腹はいっぱいだったけれど食べない訳にはいかないなと思っていた。

まことの指がトロの握りをつかむと母はまた嬉しそうに微笑んだ。
仕方なく笑顔を作って返した。
でもそれは強張った表情にしかならなかった。

手元に運んだ握りの上でトロはすっかり乾いていた。
散らばった脂がわずかながら隆起して見えるような箇所もある。
それでも確かにかなりいいトロだったのには違いなかった。

しばらくじっとその握りを見下ろして、それからまことは母に顔を上げ、お醤油、とだけ短く口に出した。

そういやそうだね、あたしすっかり忘れてたよ。
母は一層顔をほころばせながらどこからかビニール袋のお醤油を拾い上げ、折り詰めのふたの一枚の上に開けた。
流れ出した濃い色の液体は今にも縁からこぼれそうだった。
慌てて近寄ってお寿司をつけた。

食べながらふとみると、いびつな形に広がった醤油の上のあちこちに透明に寿司から溶け出した脂が点々と浮いていた。


[第四十七話(まこと篇-2)] [第四十九話(まこと篇-2)]

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by takuyaasakura | 2008-02-13 12:30 | 第四十八話(まこと篇-2) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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