Thanks! 10th ANNIVERSARY  特別企画
カテゴリ:第六十二話(はるか篇-3)( 1 )

第六十二話(はるか篇-3)

原田と初めてあったのはもちろん去年のことだ。
智和君の担任にならなければきっと言葉を交わすこともなかったのだろう。

縁というのも気が引けるけれど、神様のいたずらなどと可愛らしく呼べる気もしない。
ただ現実というのは不思議なものだと改めて思うだけだった。
ほんの小さな要素の積み重ねがいつのまにか思いもしなかった場所へと自分を導いている。
今となってはそれがどこか悔しくもあった。

入園してすぐから智和君は延長保育の常連だった。
母親たちに混じり一人迎えに現われる男親の姿はいやでも目を引いた。
そこに幼馴染みの面影を見つけてしまえばなおさらのことだった。

加えて彼の息子は人一倍口数が少なかった。
定時保育の時間はもちろん、比較的自由にしてかまわない延長保育に入っても、ほかの子と遊ぼうという姿勢をわずかでも垣間見せることさえなかった。

あるいはそんな様子にふとはるかの脳裏には昔のまことの姿がよぎっていたのかもしれない。
新園児を任されるのは初めてだったから気負いもあったのだろう。
幾ら声をかけても虚しく通り過ぎていく繰り返しにかすかな苛立ちを覚えてもいた。

気づくと四月に自分で作ったクラスの名簿を眺めることが多くなっていた。
少年の家は父子家庭という訳でもなかった。
職業の欄には自営業とだけ記されていた。
ワープロを打っていた時には気にも留めていなかったことだった。

受話器を取ったのは日曜日の午後だった。
数字を確認しながらボタンを追う自分の指先が何故だか震えて見えていた。

あるいは前もって園長かでなければ飯島先生にでも相談していれば、事態はまるで違う方向に進んでいたのかもしれない。
ふとそんなことを想像する時もある。
けれど呼び出し音が鳴る間、まるで中学生みたいに鼓動が速くなっていたことも本当だった。

受話器は原田自身が取った。
名前を名乗るだけの短い音が聴き取りにくいほどもそもそとした声だった。
彼が出ることは半ば予想はしていたけれど、それでもやはり虚をつかれたような思いがした。
はるかの家では電話を取るのは母か自分の役割だった。
母親のいない場所であの少年は生活しているのだろうかと思えば何かが急きたてられていた。

一つ間を置いてはるかが自分の身分を明かすと相手の声が心持ちやわらいだ。
御自宅での智和君はどんな感じなのか、少しお伺いしたいなと思ってお電話差し上げたのですが。
とってつけたように響かなければいいと思いながら繰り返し練習していたその台詞を口にした。

回線の向こうで相手が黙った。
静かなノイズに自分の鼓動が反響しているようだった。

ここではちょっと。
もしよければどこかで会ってお話できればあり難いんですけれど。
返ってきた原田の返事は確かそんな言葉だったはずだ。

であれば一度時間を作って来園してはくれないか、何なら智和君の迎えの後でも構わないから。
はるかがそう重ねてみると、ところが反応は芳しくなかった。
できれば御両親が御一緒の方がよいと思いますしとさらに続けると短い鼻息が返された。
あれは、もういないようなもんですから。
その一言を聞いた時自分の胸に動いたものがなんだったのか。
今でもはるかにはわからない。
そこで初めて自分が何かを期待していたことに気がつかされたような気もする。
暗い喜びとでも呼ぶべきものが不意に肺の辺りに広がっていた。

―わかっていた。

最初から職業的な使命感からだけでは決してなかった。
原田との個人的な接点をまず求めたのは間違いなく自分の方だった。
それから何をどう答えたのかはよく覚えていない。
ただ気がつくとカレンダーの二週間後の土曜日の日付を赤いまる印で囲っていた。

受話器を置いてから頬に血が上っていることに気がついた。
それはけれど興奮よりも後ろめたさの方によく似ていた。

その気持ちに急かされてダイニングから廊下に歩き父の部屋の様子を窺った。
眠っているのか物音らしい物音も聞こえなかった。
暗く安堵し、それから思いついて仏間に向かいそっと障子を開けてみた。

日頃足を踏み入れない一室は空気がすっかり冷え切っていた。
そのせいか、障子が滑るのと一緒に自分の背後からかすかな風が中に吹き込んで、誘われたように仏壇の観音開きの扉が小さな音を立てた。

そこではるかはふとその場所から動けなくなった。
今まさに母に叱られているような気がして仕方がなかった。


[第六十一話(はるか篇-3)] [第六十三話(はるか篇-3)]

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by takuyaasakura | 2008-03-04 15:00 | 第六十二話(はるか篇-3) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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