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カテゴリ:第七十八話(まこと篇-3)( 1 )

第七十八話(まこと篇-3)

母はもう出かけてしまったらしく、自宅には鍵がかかっていた。

客間を覗くと卓袱台の上に食パンの袋が出しっぱなしだった。
傍らに敷かれたティッシュの上には食べ残した耳が数本重なっていた。

ため息ともつかぬ重いものを吐き出しながらまことはパンを冷蔵庫にしまい、気を取りなおしもらってきた制服の紙袋を胸に抱えて自室に戻った。

机代わりのみかん箱の上に荷物を置き、立ったまましばらく見下ろした。
中にはブラウスも一緒に入っているらしく薄い茶色の隙間に眩しい白が覗いていた。
見るだけで手触りのよさそうな生地だった。

いつのまにか膝をつき袋の中を覗き込んでいた。
手を伸ばし触れてみるとブラウスは想像通りしゃっきりと清潔そうな感触だ。
きっちりと糊が効いているのだとわかる。
淡い彩りのベストにはほどよくしっかりとした厚みがあった。
樟脳の匂いがかすかに立ち上っていたけれど、むしろそれも心地好かった。

気がつけばさっき見たはるかの制服姿が脳裏に鮮明に甦っていた。
右手でスカートの裾をつまんだ笑顔の女の子が楽しげにくるりと体を回して見せた。

―振り向いた時、少女は自分の顔をしていた。

どうしてそんなことをしてみるつもりになったのか。
まことには今になってもその時の気持ちがいったいどういうものだったのかが、自分でもきちんとわからぬままだった。

床の上に一番埃の少なそうな場所を探して制服を順番に広げた。
ブラウスとスカートを上下に並べ、その上からベストを重ねてみた。
満足し、しばらくは床に膝立ちになってその様を見つめていた。
それからふと思いつき、片方の袖を胸のところに動かしてみた。
衣装が作った人のかたちがたったそれだけでなんだか生き生きとしたようだった。

考えるより先に次の行動は決まっていた。

まず風呂場に行きまだ使っていないタオルを探して水で濡らした。
それからタオルを手にしたまま家中の鍵を見て回った。
窓も一つ一つ開いている方の手を伸ばして動かないことをきっちり確かめた。

部屋に戻ると深呼吸しながら後ろ手にそっと襖を閉めた。
床の上に斜めに伸びた制服のかたちがちょうど自分の影のように見えていた。

首ごと咽喉を動かして息を飲み、改めて無人のはずの室内に視線を一巡させてから、まず思い切ってオーバーオールを脱ぎ捨てた。
お尻の辺りや太腿に直接空気が触れて一瞬どきりとさせられる。
暦の上ではもう秋の入口だったけれど、まだ肌寒いというほどでは全然なかった。
それなのに悪寒のような気配が一瞬背筋を走って消えた。

その感触少しだけ躊躇ってから再び意を決し両手をTシャツの裾に運び、思い切って一気に首から抜いた。
パンツだけの格好になってしまうとまた肩が一つ小さく震えた。
でもそれは決して寒いせいではなくて、むしろ心許なさみたいなものが原因だった。

見下ろした自分の胸はまだほとんどたいらだった。
不意にこの前背中に当ったはるかの膨らみの感触が思い出された。
なんだか咽喉が乾いた気がした。

首を振りその記憶を追い払い、それから用意したタオルで体を拭いた。
ブラウスが直接触れるだろう上半身を中心に、特に脇の下や首筋には念入りに手を動かした。
本当はお風呂に入った方がいいんだろうけどとちらりと考えもしたけれど、さすがにそこまでは億劫だった。

ブラウス、スカートの順番でゆっくりと手足を通していった。
前のボタンを留める間、布地の硬さが胸の先に当ってくすぐったかった。
ほとんど履き慣れていないスカートは、なんだかまだ下半身が裸のままみたいで落ち着かなかった。
制服は上も下も確かに少し大きかったけれど、だぶだぶだというほどでもなかった。

最後にベストを羽織り両袖のボタンを留めた。
それから少し考えて、一番きれいそうなソックスを探してきてはきかえた。
床に座り片足ずつを交互に手元に引き寄せている間じゅう、やはり腰の辺りが心許なくて仕方がなかった。

そして立ち上がりあらためて自分の体を見下ろした。

するとなんだか不思議な気持ちが湧いてきた。
たとえるならそれは、自分と世界とを隔てる見えない壁が少しだけ薄くなったようなとでもいえそうな感覚だった。
自分の中にいた知らない自分がほのかに喜んでいるようでもあった。

しばらくそのまま立ち尽くした後、ふと思いついてまことは記憶を手繰りあのはるかの仕草を真似てみた。
風が起きて膝の上の無防備な肌をそっと撫ぜて行き過ぎた。
あの子いつもこんなすかすかな格好でよく平気だななどと考えながらも、片隅ではまた、こんなとこ絶対はるかには見られたくないや、とも感じていた。


[第七十七話(まこと篇-3)]

[PR]
by takuyaasakura | 2008-04-04 11:13 | 第七十八話(まこと篇-3) | Comments(0)

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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