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第二十一話(まこと篇-1)

暗がりがひどく怖かった。四方に壁があればなおさらだった。
その場所に閉じこもらなければならない時は必ず一人きりだったからだ。

自分をそこに閉じ込めるのはいつだって母だった。

母は若い頃から住所を転々としていたらしい。
それは彼女の持って生まれた癖みたいなもので、まことの出産をはさんだ数年間だけでも二度や三度の引越しでは済まなかったのだといつだか誰かに聞いたことがある。たぶん母本人だ。

けれどまことが覚えているかぎりどの部屋にも大した違いはなかった。

四畳半かせいぜい六畳一間きりの狭い一室の真ん中に、脚の低いテーブルが王様然として鎮座していた。
そのほかの家具はといえば、画面の小さな映りの悪いテレビが一台、それから壁際には小さな鏡台とカラーボックスが並んで据えられていて、奥の一画はビニールの組み立て式のドレスケースに占められていた。

その程度でほぼ全部だった。

それなのに部屋はいつだって雑然としていた。
収まり切らない化粧品や出しっぱなしの服があちこちに散らばっていたからだ。まことが身を置ける場所は結局そのテーブルの周りにしか見つけられなかった。

食卓を兼ねた低いテーブルは組み上げた脚つきの台座の上に天板を乗せる仕様になっている、冬にはコタツとして使えるタイプのものだった。
天板は表がくすんだ赤で裏側は緑色の布に覆われていた。

まことはそのかすかに毛羽立つような手触りが決して嫌いではなかったのだけれど、日頃は裏面が使われることはほとんどなかった。

ご飯を食べる時には必ずその赤いテーブルのテレビが右に見える位置に座らせられた。

まことの場所からは真正面に台所が見えた。

どの部屋でも同じだった。

右端にレンジ台があり左側がシンクという配置さえ変わらなかった。

真ん中辺りに決まってハエ取り紙がぶら下げられていて、黒い斑点を浮かべた海蛇みたいな体を苦しげに宙によじっていた。

シンクにはいつも何かしらが積み上げられて油の染みが至るところに飛んでいた。

寝る時にはテーブルを窓際に立てかけてから散らばったものをどうにかまとめて場所を作り布団を敷いた。

狭い部屋はそれだけで一杯になってしまった。

もちろん布団は日頃は押し入れにしまわれていた。

押し入れはまことの席の後ろ、つまり台所の真向かいだった。
そんな位置関係も、たとえどんな部屋を移ってもほとんど変わることはなかった。

初めてその暗がりで目覚めた時の記憶がまこと自身にある訳ではない。
そんなことがあるはずもない。

まだ物心などというものさえ十分につかないうちから自分は度々そこに放りおかれていたのだろうと思う。
眠ってしまった自分は、母親にはきっと座布団と同じようなものに見えていたのに違いない。
枕代わりに頭を乗せられなかっただけでも儲けものだった。

重ねた紺の固い座布団や、あるいは季節によって下の段に仕舞われていた夏掛け冬掛けの一番上に、母親が自分を、それでも多少は気をつけながらそっと積み上げる様子を幾度も繰り返し眺めた気がする。

そんなことは有り得ないのに、まるで自分が宙に浮いてその母と娘の光景を見下ろしていたようなこの記憶は何故だか不思議なほど鮮明だった。

母に抱えられ自分はしっかりとまぶたを閉じていた。
時にむずがって鼻から音を立てたりすると、決まって母が、頼むから目覚ますんじゃないよ、と小声で呟いた。
母の背後にはいつも黒ずんだ影が立っていた。影は終始無言だった。

けれど初めこそ心地好いはずだった眠りも必ず嫌な物音に断ち切られてしまう運命だった。

十分陽に当てられることもしていない寝具はたいてい湿っぽくてかすかに黴の匂いをさせていた。
一旦目が覚めてしまえば柔らかさだけではちっとも安心できなかった。

気づけば部屋がぎしぎしと音を立てて揺れていた。

押し入れの襖さえ震わせるほどだった。
もちろんその物音こそがまことの眠りを邪魔したものだった。

荒い律動に合わせるように悲鳴とも笑い声ともつかぬ声が途切れ途切れに届いていた。
最初こそ控え目に響いていたその音は次第に大きくなっていくことが常だった。それがあの時の母のものだったと理解したのはもちろん大人になってからのことだ。

まことは暗がりの中でただ怯えていた。
それ以外に術などなかった。

得体の知れない、けれどなぜかよくないものだとはっきりとわかる何かがそこらじゅうにひそんでいて、そいつらがうめき声を上げながらいっせいにこちらに向かって襲いかかろうとしている。
鼻や口やでなければ目や、とにかく体の内側に繋がっているあらゆる場所を目掛けて押し寄せて、隙あらば中にもぐり込んでしまおうとしている。

そんな気がしてまことはきつく目を閉じて息を止め、全身を固く縮めてまるまった。
そうやってそのよくないものたちが行き過ぎるのをひたすら待った。

嵐がすぐに止むこともあった。
でもほとんどの場合まことの呼吸が苦しくなってしまうことの方が先だった。
そうなるとさすがに耐えきれずに泣き出した。

けれどその度に押し入れの引き戸がいっそう大きな音を立てて弾けるようにして揺れた。
驚いて肩を震わせて息を飲んだ。
叩いていたのが母だったのかそれとも別の誰かだったのか、それはまことにはわからなかった。

うるさいとか静かにしろとか、たぶんそんなふうな怒鳴り声も続いていたのだろうけれど、それもよくは覚えていない。
はっきりしているのは、幼いどころかまだほとんど乳飲み子の域を出ていなかった自分がいつの間にか、どんなに泣き叫んでも助けがくることはないのだと悟っていたに違いないということだけだった。

一番欲しかったのは温もりだった。
守られているという安心感だった。
そしてまだ言葉をきちんと操ることさえ難しかった頃にそれを諦めることを覚えた。

気がつけば彼女はいつのまにか声を出さずに泣く子供になっていた。


[第二十話(はるか篇-1)] [第二十二話(まこと篇-1)]

by takuyaasakura | 2007-12-27 12:13 | 第二十一話(まこと篇-1) | Comments(0)
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その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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