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第百二十一話(はるか篇-5)

けれどいわれた通りにした途端だった。
突然胸の奥から不快なものが迫り上げた。

ハンカチを借りたまま、ちょっとごめんなさいと慌てて立ち上がった。
今にも嘔吐してしまいそうで必死になってトイレを探した。
幸いすぐ表示が見つかり、はるかは口元を押さえながら急いで中へと駆け込んだ。
洗面台に顔を乗り出して咽喉を思いきり開いた。
だが胃の奥底がむかむかするだけで何も出てこなかった。
それでもしばらく顔を上げることができなかった。
ついこの前もこんなふうにしていた気がすると思い返して、一昨日原田とホテルに行った時のことだと思い出した。
その前後も今日も特に変なものは口にしていないはずだった。

両手をついて顔を持ち上げた。
鏡の中に自分がいた。
泣いたせいで化粧が流れてなんだかみすぼらしかった。
悔しくて両頬の筋肉を引っ張って無理矢理笑顔を作ってみた。
でもすぐばかばかしくなって止めた。
ふと、ずいぶん母に似てきたなと思った。

ようやく吐気が収まってテーブルに戻ると飯島先生が心配そうにこちらを見上げた。
唇が何かいいたげに開き、けれど一つ間をおいてまた閉じた。
立ったままはるかは相手に頭を下げた。

「すいませんでした。これ洗って返します」

すっかり汚してしまったハンカチを持ち上げて示すと、飯島先生は手を振って、返さなくてもいいくらいよ、とぎこちなく笑った。

座りなさいよと促されて素直に従った。
大丈夫? と訊かれ、平気ですと応じた。
それからはるかは首を横に振り口を開いた。

「でも、誰かに話せただけで少しすっきりしました」

それは本当の気持ちだった。
もう一度改めて一礼したはるかに、飯島先生は、まあそれならよかったけど、と頷きながらもかすかに両方の眉を寄せ、でも念を押すけど、やっぱり話半分で聞いてよね、と付け足した。

確かにここで聞いた中身をすべて鵜呑みにするのもどうかという気はしていた。
だが一方でおそらくそれがほぼ真実なのだろうという予感もあった。

「正直、自分でもこれからどうするのが一番いいのかはまだよくわかってません。
ただバカだったなあと思うだけで、今は本当、それで頭がいっぱいみたいです」

言葉を選びながら思った通りを口にした。
飯島先生は静かに頷いて応えてくれた。
はるかは続けた。

「でも、なるべく早く考えるようにします。
こんなこともう続けていたくないという気持ちがずっとあることは確かだし、たぶんそれに従うんだろうと思います」

「あたしもそれがいいと思う。
あまり傷が深くならないうちにそうできるといいわね」

けれどそういった彼女の口調はさっきまでとはどこか違って聞こえた。
そこには諦めに似た気配が忍び込んでいるようにも感じられた
。気にはなったが訊き返すまでのこととも思えなくて結局そのままにした。

それからはるかは大きなため息を吐き出した。
まるで吐息の方がずっと体から出たがっていたんじゃないかと思えるくらい、自分でも驚くほど重く長いため息だった。
そのあとからぽつりと言葉が出てきた。

「あたしって、まだまだ全然子供だったんですね。
いつのまにもうすっかり大人になったつもりでいたのに、でも実際はあの子たちのお手本になる資格なんてこれっぽっちもなかったんだわ」

その通りよといわれるだろうと思っていた。
どこかでそんな言葉を期待しもしていた。
けれど飯島先生は少しあきれた顔こそ浮かべはしたけれど、諌めるでもなくただ首を振って肩をすくめた。

「まあでも、結構みんなそんなものだと思うわよ。
お手本とか資格とかで本当に生きていける訳でもないだろうしね」

「そんなことないですよ。
あたしも早く飯島先生みたいにならないとって、毎日思ってますもの。
ちゃんと自分に自信を持って子供たちに接したいなって」

「あたしだって全然そんなんじゃないよ」

飯島先生はそこでふと真顔になった。

「年を取れば取るほど自信なんてなくなっていくわ。
むしろ若かった頃の方がそういう気持ちが自分を支えてくれた場面は多かったように思い出すもの。
近頃はね、自分は結局何もわからないんだなあって思うことが多くなっちゃって困ってるわ」

彼女はでもそこで小さな笑みを浮かべた。

「ただね、それでいいのかもしれないなって思えるようになったことは、ひょっとすると年の功ってやつかもしれないなとは時々思う。
毎日子供たちと接することと貴女とこうやって多少は互いの立場を離れて話をしたりすること、それからさっきのドリアを食べること。
そういうのがね、どういえばわかるかな、ある意味ではあたしにとって等しく貴重なことなの。
どれもが実は一度きりの出来事なのね。

でもだとするとそれはあの子たちにもあてはまる訳で、そう気づくと毎日こっちがいっぱいいっぱいくらいなつもりでやらないと子供たちに申し訳ないなあなんて考えたりしてる。
そんなふうに日々じたばたしてるのよ。
でもそれしかできないんだからそれでいいんだって思うことにしてる。
そうできるようになった」


[第百二十話(はるか篇-5)] [第百二十二話(はるか篇-5)]

by takuyaasakura | 2008-06-09 11:46 | 第百二十一話(はるか篇-5) | Comments(0)
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その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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