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第百五十話(はるか篇-6)

ガラスの破片の幾つかがあちこちで浅く皮膚に刺さっていて、はるかは注意深くそれらを取り除いた。
血を拭き取っていくと傷はほぼ額に集中していることがわかった。
幸いなこと目やこめかみなど大事になりそうな箇所はどうやら無事であるようだった。
手を動かしながら幾度かまた父を呼んでみたけれどやはり答えはもらえなかった。

―どこか打ち所が悪かったのだろうか。

再び湧き上がってきた不安を懸命に押さえつけながら、ガーゼを捨て、それから散らばっていたガラスの破片を集めてこちらもゴミ箱に放り込んだ。
横たわった父をベッドに寝かせてあげたかったけれど、動かしていいものかどうかもわからなかったし、そもそも自分一人ではどう考えても無理だった。

父の傍らに座り込みもう一度手を握ってみた。
父の手は十分に温かかった。
はるかはその手を自分の膝の上に運ぶと繰り返し父に呼びかけた。

すぐに救急車が来てくれるからね。
絶対大丈夫なんだから。

黙ってしまうと時計の音ばかりが大きく響いて聞こえてきた。
それがたまらずにはるかは懸命に父に言葉をかけ続けた。
けれど耳に返った自分の声は弱々しく今にも泣き出しそうだった。
どれほどそうしていただろう、やがてようやく遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
その響きを頼もしく感じたことなどもちろんこの時が初めてだった。

チャイムが鳴るのも待ちきれずドアを開けるとちょうど救命隊員の一人がこちらに向かって歩き出したところだった。
患者は、と訊かれ奥ですと応じると、頷いた相手は忙しく靴を脱ぎそのまま廊下を進んでいった。
追いかけたはるかの後ろからも担架を抱えたもう二人の別の隊員が従っていた。

傷口をざっと見て脈と瞳孔の状態を手早く確認した先頭の一人は、すぐにはるかに向きなおると、どうやらさほど心配なさらなくても大丈夫のようですね、と口にした。
でも意識が戻らないんです、ずっと呼んでも返事がなくて。
勢い込んでそう続けたはるかに相手は首を縦に振り、おそらく軽い脳震盪ではないかと思われますが、いずれにせよ病院に搬送します、と答えて待機していたほかの二人に合図した。

当座必要になりそうな父の分の肌着だけを急いでまとめて救急車に同乗した。
車がサイレンを鳴らしながら走っている間も父の顔ばかりを見ていた。
病院に着いても自分にできることはほとんどなかった。
車輪のついたベッドに乗せられた父が治療室に消えてしまうと後はただ待つしかなかった。

廊下に据えられた背丈の低い椅子に座って両手をしっかりと組んでいた。
ただ父の無事だけを祈っていた。
ほかのことなど何も浮かんではこなかった。
夜の病院は思いのほかしんとしていた。
照明もすっかり落とされて、天井からつるされた非常口を示すランプの緑色がやけに目立って見えていた。
それがなんだか非現実的な感じがした。

ためいきをつきふと自分の姿を見下ろすと、白いスカートのところどころに黒っぽいしみがついていた。
なんだろうと目を凝らし血の痕だと気がついた。
落とさないと取れなくなっちゃうやとはちらりと思いもしたけれど、到底そんな気持ちにはなれなかった。

静まりかえった廊下では遠くの足音もすぐに聞こえてきた。
まもなく夜勤らしい看護士さんが一人、はるかの目の前を通り過ぎて消えていった。
行き過ぎる瞬間に互いに目礼だけを交わした。
それきりまたはるかは一人きりになった。
不安が苛立ちに変わりかけそうになった頃、ようやく治療室のドアが開いた。

立ち上がったはるかに開口一番担当の医師は、大事でなくてよかったですね、と口にした。
思わず深々と頭を下げた。
それから思いつき意識はどうなりましたと尋ねてみると、相手は大丈夫ですよと頷いて、どうぞ、とはるかを室内に招じ入れた。
父はベッドの上で顔中をガーゼだらけにして目を閉じていた。
恐怖に似た思いで縋るように医師を見上げると、鎮痛剤を多少投与しましたから、ひょっとしてお休みになってしまったかもしれませんね、と彼がまた首を縦に動かした。

どうぞ、と中にいた看護士さんが丸椅子を勧めてくれた。
礼をいいはるかはベッドの脇に腰を掛けそっと父の手を取り、それから小声で、お父さん、と呼んでみた。
父が目を開けるまで少しの間があった。

「ああ、はるか。私はいったいどうしたのかな」

言葉は途切れ途切れではあったけれど思ったよりしっかりとしていた。
だが声を聞いた途端に抑えていたものがあふれかえって咽喉からせり上げてきた。
抑えようとしたけれどかなわなかった。
はるかはそのまま俯くと、左手を父の手から外して口元に運び、懸命に声を殺しながら肩だけで泣いた。

よかった、とただそれだけを考えていた。
父が自分の名を呼んでくれたことに気がついたのはずっと後になってからだった。


[第百四十九話(はるか篇-6)] [第百五十一話(はるか篇-6)]

by takuyaasakura | 2008-07-18 11:31 | 第百五十話(はるか篇-6) | Comments(0)
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その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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