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第百七十一話(まこと篇-6)

ふと気がつくと、隣にいるにもかかわらず、今はるかは何を思っているのだろうと訝ることが多くなっていた。
子供の頃から、どちらかといえば単純なはるかの考えならすぐに察しがついたし、何よりもはるかは思っていることがすぐ顔に出る性質だった。

けれどいつのまに、彼女の顔の上に自分には上手く意味のつかめない表情ができあがっていることが増えていた。
笑っている瞳の奥に憂いとも悲しみともつかない影が絶えず潜んでいるような気がし始めていた。

いつかまこと自身も焦りに似たものを覚えるようになっていた。

初めて出会った頃や、あるいはまだ自分が毎日のようにオーバーオールに身を包んだ格好で彼女と戯れていた頃は、自分たちはもっと一つだったように思われていた。
それも本当は錯覚に過ぎないとわかっていながら、日々何かが失われてしまっているような感覚にたまならい怯えを抱いていた。

母の裁判が結審したのは確かそんな時期だった。

法廷での態度も裁判官の心証をかなり悪くしたらしく、単独での犯行と断定され、判決は十五年の実刑だった。
殺人という罪状に対しそれが軽いのか重いのか、まことにはよくわからなかったし興味もなかった。

加えれば母の罪が確定したからといって日々にはもう大した変化も起きはしなかった。
確かに学校で顔も知らない誰かが遠くから自分を指差しているように思えることが多少増える程度のことはあったけれど、それも一月も経たないうちにほぼ収まっていた

母の身柄は自分たちの町からはずいぶんと離れた刑務所に収監されることになった。
本人の希望だったのだという。
新聞に出た以上のことは、はるかの母がどこから仕入れてきて、まこと一人をつかまえてそっと教えてくれた。

貴女のお母さんは、確かに決して誉められた人ではなかったけれど、でも本当はそこまでのことはしてないんじゃないかしら。
私はそう思っているの。
違うのかしらね。

はるかの不在を見計らって食卓で向かいあった時、はるかの母にそう訊かれた。
迷った末首を縦に動かして、それからすぐ、でももうそんなことはどうでもいいんです、あの人は自分の好きなように勝手に決めて、したいようにしてるんですから、と口にした。

「それにあたしもう、自分はこの家の娘だと思ってますから」

少しだけ照れながら小声でそう付け足すと、はるかの母が穏やかに笑って、ありがとうと答えてくれた。

それから彼女は静かに首を傾げると、テーブルの上で組んでいた手を小さく動かして伸びをするような仕草を見せた。

「もし私たちの想像が正しいとして、あの人はじゃあ、男を失うよりも自分の娘を殺人者の子にすることを選んだということになるのよね」

そこで深く息を吐いた相手の目には、同情とも慈しみともつかない表情が浮いた。
けれどそれは決して嫌な感じのするものではなかった。

「きついわね」

ため息の続きみたいなその一言にもう一度首を縦に動かして、不意にこぼれそうになった涙に気づいて慌ててこらえた。
自分ではとっくに平気になったつもりだったのに、毎日のように自分の回りに流れる冷たい空気がどこからか甦ってきて一番柔らかい場所を締め付けていた。

はるかの母が、ごめんなさいね、と腕を伸ばして頭をなでてくれた。
首を横に振ったけれど声を出すことができなかった。
それから彼女は一つ下唇を噛むと、でもそんな気持ちは私には絶対わからないのね、と独りごとのように呟いた。

「だってあれはバカですから。
バカの考えることなんて、あたしたち普通の人間にはわからなくて当たり前です」

鼻声を懸命にこらえながらまことがいうと、はるかの母は顔をしかめて、気持ちはわかるけど、でもどんな時でも自分の親のことはそんなふうにいうもんじゃないわよ、とたしなめた。
だけど、と反駁しかけたまことを制し、はるかの母は、それでもよ、と諭すように頷いた。

それから彼女は少しだけ視線をずらして先を続けた。

「貴女には辛いでしょうけれど、お母さんは控訴もしないつもりらしいから、事件の犯人があの人であることは法的にはもうどうにも揺るがないみたいなの。
男の方は結局起訴も見送られてしまったらしいわ。
前後してすぐ町からも姿を消してしまったらしい。
今頃どこでどうしているのか知らないけど、まあ真っ当に生きてはいないんでしょうね」

その時ふと、向かいに座った相手の顔に悔しさとも怒りともつかぬものが一瞬だけよぎったのに気づいた。
気になったがその意味を問うことはしなかった。


[第百七十話(まこと篇-6)] [第百七十二話(まこと篇-6)]

by takuyaasakura | 2008-08-19 10:37 | 第百七十一話(まこと篇-6) | Comments(2)
Commented by セフレ at 2010-07-12 11:02 x
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探して頂けますか??
検索ワードは九州福岡
の22歳
まさみで登録済です
優しくて秘密を守れる方で
Commented by KiRaRa 悪質 at 2011-05-14 17:39 x
はじめまして、これからお願いします。
<< 第百七十二話(まこと篇-6) 第百七十話(まこと篇-6) >>

その日、止まっていたはずの彼女たちの物語が再びそっと動き始めた。
by takuyaasakura
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[登場人物]

来生まこと
24歳。小学校時代に母親とともにはるかの隣家へ越して来る。以後は、はるかにとって一番近い存在となったのだけれど、高校卒業を前に家を出て現在は所在不明。

片岡はるか
24歳。教職についていた両親の一人娘で、自身は現在保育士として地元の幼稚園に勤めている。母の死後、二人暮しで衰えた父親の面倒を見ながら日々を送っている。

久住哲平
湖畔の食堂の一人息子。まこととはるかの二つ上で、二人の幼馴染み。現在は自動車修理工で故郷を離れている。



浅倉卓弥
(あさくら たくや)


1966年7月13日北海道札幌生れ。東京大学文学部卒。
2002年『四日間の奇蹟』で第一回『このミステリーがすごい!』大賞金賞を受賞し翌年デビュー。『君の名残を』、『雪の夜話』、『北緯四十三度の神話』、『ライティングデスクの向こう側』、『ビザール・ラヴ・トライアングル』など、次々と話題作を発表する気鋭の若手ベストセラー作家。



[連載小説]
*毎週月~金曜日連載*



[おことわり]

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